ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2961)

 原発とリスクの許容範囲

 チェルノブイリの原発事故に関するドキュメンタリー番組を以下の番組を視聴しました。

 NHKの「チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染」(1996年放送)、TBSの「チェルノブイリ事故から20年」(2006年放送)、BBCの「Chernobyl」(2009年放送)です。

 これらの番組から浮かび上がってくるチェルノブイリの原発事故の原因として、驚くべき仮説が浮かび上がってきます。

 それは「原子炉に異常が起き、緊急停止のため制御棒を突っ込もうとしたまさにその時、直下型地震が起きてしまった」というものです。

 「そんなバカな」というのが普通の反応でしょう。但し、起きる確率は完全にゼロではありません。

 きっと世界では、こういう「普通に考えれば起きるはずのないこと」が結構起きているのだと思います。

 こういう話は他にもあります。2011年1月15日、イギリスのドゥーンレイ原子力発電所跡地に落雷があり、電子機器が損壊したとBBCが報じています。原発に関しては、こういう「普通は想定されないこと」にも充分な注意が必要です。

 原発事故を完全に防ぐのは不可能だと思います。確率を低くすることはできるでしょうが、完全にゼロにはできません。「そんなバカな」という話はいつかどこかで起きてしまうものです。

 現実には「リスクがあるか、ないか」を議論しても仕方ありません。リスクはあるに決まっています。

 問題は「リスクが許容範囲か、否か」という部分です。本来、原発が安全か否かを判断するのは、電力会社ではなく、近隣に住む住民たちのはずです。

 確率は低いですが、原発が重大事故を起こしたら近隣に人が住めなくなることは予めわかっていました。

 近隣住民に対して、そのことを事前に説明しないのは誠意を欠くでしょう。それで了解を得られないなら、そもそも原発の建設をすべきではありませんでした。事故を起こしたことより、この罪の方が重いと僕は思います。

 「絶体に安全です」と言われ続けた福島第一原発からは、広島型原子爆弾10?50個分の放射性物質が飛散したようです。

 少なくとも近隣住民は、原発に貯蔵された核燃料の量や普段の放射線量などを知る権利があるでしょう。そうでなければ原発周辺など危なくて住めたものではありません。

 もちろん、リスクを認識した上で「補助金と雇用のために原発を受け入れる」という住民の判断があってもいいと思います。ゴミの処分場などの「迷惑施設」を受け入れてくれる自治体の存在は、どうしても必要でしょう。

 これからは「もう事故は起きない。これからは絶対安全」という説明では話になりません。

 今後とも原発を推進するなら、近隣住民への正確な情報提供とリスクの説明(重大事故発生の場合、移住を余儀なくされる等)は必須だと思います。

 (1200字)
 
 山田宏哉記

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 2011.4.17 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ