ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2969)

 2011年の宮城 津波到来後の塩釜をゆく

 本日(2011年5月1日)、宮城県の塩釜市を探訪しました。

 仙台と石巻の間をつなぐ仙石線の東塩釜駅で下車しました。そして、本塩釜方面に向かって歩きました。

【写真1】塩釜市。印象的なクレーン。


 眼の前に酷い光景が広がりました。

 至るところで道路の舗装が剥がれ、ガードレールが折れ曲がり、歩道に電灯が倒れ、陸に打ち上げられたボートが放置されていました。

 そして、一階部分が津波で押し流された個人宅が数多くありました。根こそぎ、津波に持っていかれたであろう家があったであろう場所は、更地のようになっていました。

 津波に飲まれた自動車はスクラップと化し、そのまま放置されていました。ナンバープレートを外して所有者を特定されにくくするケースもあります。

 仙台の個人タクシーの運転手に聞いた話によると、打ち捨てられた自動車の持ち主は、亡くなったり、行方不明になっていることも多いようです。

 曰く「私の知り合いも地震の後、家に戻って車ごと流された。後日、流された車は見つかったが、中には誰もいなかった」とのことです。

【写真2】瓦礫の撤去作業が続く。おそらく個人宅があった場所。


【写真3】陸に打ち上げられた船


【写真4】スクラップと化した自動車


【写真5】押し潰された家


【写真6】浸水した工場


【写真7】塩釜の地図。鋭く切り込まれた湾が津波被害を大きくした。


 実際に塩釜の津波被害の状況を目の当たりにすると「見てはいけないものを見てしまった(特に個人宅の被害状況)」というのが率直な感想でした。

 このような光景が一面に広がり、僕は「これは凄いことになっている」と興奮しました。一時的に感受性が麻痺したのだと思います。

 しかし、時間差で酷いショックに襲われました。

 知識としては、東北で津波被害が発生していることを知っていました。メディアを通して、既にその映像も視聴していました。

 しかし、それとは全く異質でした。おそらく、僕は初めて今回の津波被害の深刻さを自分のこととして感じたのです。

 今日見た光景は、もう忘れたくても忘れられないでしょう。自ら望んだこととはいえ、あまりにシビアな体験でした。

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 山田宏哉記

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 2011.5.1 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ