ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2981)

 "貧者の一灯"としての震災ボランティア

 震災ボランティアの経験をしてから、「偉いね」とか「凄い」と声をかけられることが増えたが、それは違うと思っています。

 通常は「本業を通して世の中に貢献する」と意識すれば充分だと思います。

 僕は"単純な善意"で福島に行くわけではありません。ウェブの運営者として、実務家として、震災ボランティアの体験は「十分過ぎるほど元が取れる」と冷静に考えています。

 また、震災ボランティアをすることによる収穫は多いものです。貴重な一次情報が手に入るし、否応なしにチームで問題を解決する必要性に迫られます。

 前者はウェブ運営者として決定的な強みになるし、後者は実務家が仕事をする上で、非常に有効な訓練になると思う。これが"無料"で手に入るのは奇跡に近いものです。

 それ以上に根本的な話があります。

 そもそも、組織でエリートコースを歩むような人は普通、ボランティア活動などしないものです。だから、社会人で熱心にボランティア活動をするのは、本業で完全燃焼できていなかったり、不遇な日々を送っているような人が多くなります。

 得てして「貧者の一灯」なのです。

 市場競争の敗者となり、脱落した人たちの自尊心や承認欲求をどうケアしていくか。あるいは、貧困層から抜け出せない人にとっての希望とは何か。

 本当に大切なのは、この問です。そして、ボランティア活動というのは、この問に対するひとつの答えなのです。

 人は誰しも、"自分が認められる場"や"自分の行動が世の中の役に立っている実感"が必要なのだと思います。それが本業の場であれば恵まれたことだが、必ずしもそういう人ばかりではありません。

 「自分が必要とされる経験」「世の中に貢献する体験」が不足しているばかりに、精神的におかしくなってしまう人がとても多いと感じます。ボランティアは、その種の精神疾患に対するセラピーにもなり得るでしょう。

 世界的にみても、民間企業に幹部候補として採用されなかった若者たちは、ボランティアのような活動を生きがいにしていくのだと思います。

 本業は生活の糧を得るためと考え、ボランティア活動を通して世の中に貢献する。そういう生き方のモデルがあってもいいでしょう。

 収入が低かったり、非正規雇用であっても、ボランティア活動に精を出せば、充分に世の中に貢献できるし、生きがいを感じられる。そんな世の中の方が、きっと「何が何でも正社員」みたいな今の社会よりもずっと暮らしやすいと思います。

 自分が震災ボランティアにコミットするにつけ、否応なしにそんなことに気付かされます。

 (1000字)

 山田宏哉記

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 2011.5.18 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ