ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2983)

 震災ボランティアの戦友たち いわきの夜篇

 昨夜(2011年5月21日)、福島県のいわき市内にある魚料理が自慢のお店に夕食を食べに行った。

 先週も70歳を超える店のご主人と話が弾んだこともあり、僕はいわきに来たら、この店に来ることにした。僕はご主人の勧めるままにカツオの刺身を注文。これをニンニクを刻んだ醤油に漬けて食べた。

 カツオの刺身は絶品だった。地元の方が「マグロより旨い」と言っていたが、確かにこれは本当だった。ご主人が自信に満ちた顔で「どう?」と聞いてきたのもわかる。

 店のカウンターには御年配のHさんが既にいて、ご主人と色々と話していた。

 僕がご主人に「いわきに来たら、サンマかカツオを食べるように言われました」と言うと、隣に座っていたHさんが「そう!カツオは今が旬。これからどんどん美味くなるよ」と絡んできた。そして、しばし魚の話をした。

 Hさんに「お兄ちゃん、地元の人じゃないでしょう?」と聞かれたので、「東京からボランティアで来ました」と答えた。Hさんは随分、感心というか、感激した様子で、僕たちはしばし福島の津波被害の話をした。

 僕にとっても意外だったのは、いわき市民も海岸部が「あんなこと」になっているのを知るのは、かなり時間が経ってからだった、ということだ。

 店に来ていた作業員風の男性たちが、帰ろうとして会計を済まそうとした時だった。不意にHさんが「お兄ちゃんたち、原発の人?」と尋ねた。若い男性は呆気に取られた様子で「はい、そうです」と答えた。Hさんは「本当、頑張ってね!」と激励した。

 彼らはいわき駅周辺のビジネスホテルに泊まっている、という。福島第一原発周辺には泊まるところがなく、毎朝、いわきから原発に向かっているそうだ。ちなみに、原発作業員たちは「煮魚」を注文していた。

 原発作業員たちが店を出て行った後、Hさんはご主人に「やっぱりそうだったね」と声を掛けた。ご主人は「店に入って来た瞬間にわかったよ」と答えた。僕には全然わからなかった。

 随分とごく普通の若手作業員のような方が原発の事故現場で働いているのだと思った。
 店のご主人、女将さん、Hさんとの談笑は続き、僕は瓶ビール一本(630ml)を飲み干した。

 やがて「じゃあ、そろそろ」ということでHさんが席を立った。Hさんはご主人と20年来の付き合いでいわゆる「ツケ」で支払っていた。
 
 僕も「そろそろ」と思い会計を済ませ、店を出た。そのままホテルに戻るつもりだった。

 その時、「おーい」と声を掛けられた。Hさんが自転車を取りに行って戻って来ていて、ちょうど鉢合わせになった。「もう一軒、付き合ってくれ」とHさんは言った。

 Hさんは僕を連れて、地元の人しか行かないような怪しい小路地を歩いて行った。「この辺の店は夜9時くらいから始まるんだ」などとHさんは色々と説明してくれた。

 Hさんの行きつけの店は一軒目は、あいにくシャッターが閉まっていた。Hさんは「おーい」と言いながら、シャッターを叩き始めた。東京でやったら、どう見ても「危ない人」だが、いわきだと(?)、これが愛情表現に見えてしまう。

 Hさん行きつけの店の一軒目はシャッターが閉まっていたので、僕たちは別の店に向かった。何でもここはHさんの「別れた女房の同級生」がママをやっているお店だそうで、古風なスナックといった面持ちだった。

 僕の感覚からすると、どう見ても「気軽に入れる店」ではなかった。

 お店のママは僕より一世代くらい上で、とても素敵な方だった。普段Hさんはママから色々「説教」されているらしい。お店には常連の「社長さん」が来ていて、渋い歌を歌っていた。Hさんが言うには「社長やっているけど、彼も一人になりたいんだよ」。そういう空間だった。

 Hさんはママさんに「こちら、東京からボランティアに来た山田くん」と紹介して下さった。これにはママさんもいたく喜んだ様子で、過剰サービス気味になり、ビールもジャンジャン注いでもらえた。僕も嬉しくて、ついビールをガンガン飲んでしまった。

 不意にママさんが「私たち、地元民だけど、自分のことで精一杯でボランティアできないよ」と言った。先の店のご主人も「ボランティアは、ヒマとカネがないとできない」と言っていた。ボランティアは、したくてもできない人がいる。そのことは忘れないようにしたい。

 僕は平日、会社勤務をしている。そして、週末、全額自費で震災ボランティアの活動をしている。「フラフラしながらボランティアをするような人はダメ。君は伸びる」とHさんは太鼓判を押してくれた。

 ママさんがHさんに「山田君を泊めてあげなさいよ」と言うと、Hさんが「そうだ。うちに泊まりなさい。ひとり暮らしだけど布団は2つある」と言い始めた。本気の申し出だとわかるもので、とても嬉しかった。

 ただ、残念ながら既にビジネスホテルにチェックインしていた。

 結局、僕とHさんで、瓶ビールを3本くらい(?)開けた。名残惜しかったが、「明日もあるので」ということで、

 Hさんと店を後にすることにした。ママとは何度も握手し、また来ることを約束した。社交辞令抜きで、必ず、また行きたいと思う。

 別れ際、Hさんからは「もう会うこともないだろうけど、それでいい。人生の中で、こんな一瞬の出会いもあった。そんなことを覚えていてくれたらいい」と言われた。

 奇跡のような一瞬。確かに僕はそれを感じることができた。そんなことを思いながら、僕はHさんの後姿を見送った。

【写真】Hさんに連れられて入ったいわきの裏路地。夜は全く違う装い。


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 (2200字)

 山田宏哉記

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 2011.5.22 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ