ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2985)

 誰も教えてくれない"社外活動の心得"

 "世界の偉人"も案外、身内からの評判は悪いものです。結論から言うと、世間一般からの評価と身内からの評価を両立されるのは、不可能に近いと思います。

 それでも、世間一般から認められながらも、身内とも良好な関係を築くことは、不可能ではないと思うし、そういう技能は今後、ますます重要になるでしょう。

 この辺りのことについて、僕が日々感じているころを記します。

 マスメディアでチヤホヤされる研究者が、大学の同僚から評判が悪いことはよくあります。これは、身内への配慮が足りない。目立っておいしい思いをしたら、その分、損な役回りを引き受けないと何かと反感を買うでしょう。

 新聞記者や編集者が本を出版する場合、決して自分の勤務先からは出しません。これも「身内への配慮」と考えた方がいいでしょう。幻冬舎の見城徹氏ですら、自著は自分の会社から出しませんでした。

 ちなみに、普通のビジネスパーソンが自著を出版しても周囲との軋轢を起こさないためには、おそらく「ずば抜けて優秀」であるか、「物凄く謙虚」であるか、のどちらかであることが必要だと思います。

 後者の方がハードルは低いですが、できればその両方であることが望ましいことは、言うまでもありません。

 以上のようなことを踏まえた上で、「ビジネスパーソンが実名でツイッターをすること」を考えてみます。

 メディアでは、割と「スマートフォンの活用で、積極的にツイッターで情報発信をして、人脈が広がって、組織内でも高評価」みたいな物語が好まれます。しかし、「現実はそれほど甘くはない」と僕は思います

 実名でツイッターをやるのは、組織人としては「ややマイナス」というのが、率直な実感です。

 ビジネスパーソンが実名でツイッターをやって問題ないかと言えば、建前としてはありません。

 但し、本音を言えば、「人一倍働く」「原則、有給休暇を取らない」「損な役回りを引き受ける」くらいの覚悟はないと「なんだ、あいつ」と思われる可能性は高いと思います。

 例えば、実名ツイッターユーザーが遅刻をしたり、有給休暇を取ったり、仕事で失敗をしたら、「ツイッターに現を抜かして…」という評価を受けがちです。要するに「失敗が許されにくくなる」。自然とそうなります。

 もっとも、その代わり、組織の外の人間関係は広がるので、個人としてはプラスの側面の方が大きいとは思います。

 いずれにせよ、世の中から脚光を浴びる機会がある人は、その分、損な役回りも引き受けないと、足元をすくわれます。このことはいくら強調しても、強調しすぎることはありません。

 僕は、誰に教わったわけでもないけど、本業では「面倒な作業をすべて引き受ける」ことにしています。本業以外の活動で認められることが多いので、本業では損な役回りに徹しないとバランスが取れません。

 港湾労働者の世界でも、能力が低い人は、自らクレーンで吊られた荷物の下に入る、という話を聞いたことがあります。当然、荷が落ちたら無事では済まない。みんなそうやってバランスを取っているのです。

 脚光を浴びる人を悪くいうのは、紛れもなく嫉妬だし、そういう「出る杭を叩く」風潮はよくないと僕も思います。でも、スポットライトを浴びた人が尊大な態度を取ったら、誰でもムカッとくるのではないでしょうか。

 僕は全くの無名だし、脚光も浴びていないが、これくらいの活動レベルでも、「身内への配慮」は必要と感じています。

 僕は、職場では、社外活動のことを「聞かれない限り、言わない」。それでも、僕のウェブサイトには、ほぼ毎日、勤務先のIPアドレスからアクセスがあります。

 やはり、一定の注意は払われているし、その分、普段の仕事へのプレッシャーがかかることは事実です。

 だからこそ、他の人よりも、損な役回り、人の嫌がる仕事を引き受けることで、光が当たる部分とのバランスを取っていきたいと思います。

 こういう人間の本能的な感情の動きは、理屈を超えていますが、決して甘く見てはいけないものです。
 
 (1600字)

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 山田宏哉記

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 2011.5.24 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ