ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2987)

 震災ボランティアの戦友たち 避難所清掃篇

 本日(2011年5月28日)、福島県のある市町村で震災ボランティアをした。

10:00〜11:30 避難所の調理室清掃
13:15〜14:45 トイレ清掃搬

 あいにく、この日も雨だった。ボランティア・センターのマッチングルームで待っていると「避難所清掃1名」の募集がかかった。即断で挙手。無事、作業内容が決定した。

 僕は毎回、挙手するスピードが一番早いと思う。これは空気を読まないからだ。

 今回はワゴン車の運転手のKさんと2人で作業することになった。Kさんは岐阜からやって来ていて、昨日の朝、福島入りした。Kさんは独立して電機設備系の技師をされていた。そのため、休日の取得は割と融通が利くという。

 車中泊で昨日は旅館の浴室清掃のような作業をやったそうだ。僕も生まれは岐阜なので、Kさんの方言が懐かしかった。

 現場では、公民館を避難所として使っていた。避難所と言うと、つい体育館のような場所にブルーシートを敷いたような光景を想像しがちだが(メディアではこういう「絵になる光景」が好まれる)、今回の訪問先では避難者は公民館にある「和室」みたいな個室で生活をされていた。

 公民館の方によると、避難者は調理室を「自由に使って良い」ことになっているが、後片付けまで手が回らないという。特にオーブンや魚を焼くためのグリル(?)の油汚れが酷いことになっているので、清掃して頂きたい、というのが依頼内容だった。

 依頼内容を冷静に判断すると、かなり微妙感が漂う。私見では、避難者だからと言って、調理の後片付けをしなくてもいい理由にはならないと思う。しかし、依頼を引き受けた以上、我々としては依頼に応えるべく、ベストを尽くすのみだった。

 こういう切迫度合いがあまり高くない依頼に対応するのは「この日が雨だから」というのが大きい。雨の日は、屋内作業に限定されるのでボランティアの「雇用確保」が重要な問題となる。

 当初、Kさんはこの作業では物足りない様子で「次の現場に入れるか」ということを気にされていた。岐阜から車中泊でやって来たのだから、電子レンジの清掃では不完全燃焼なのは当然だと思う。

 僕は雨の日は屋内作業の数が不足していることを説明し、「この現場を丁寧にしましょう」と提案した。運営スタッフたちは「失業」に最も気を使っている。

 今回の作業はボランティアセンターから避難所に電話を掛け「何かやらせてくれ」と依頼したのだと僕は思う。

 作業内容が物足りなそうなKさんに対して、僕は「お土産話」として、これまでの震災ボランティアを通して見聞したことをなるべく話すことにした。Kさんは今回が2回目の参加だったので、僕の話を興味深そうに聞いて下さった。

 午前中一杯で調理室の「頑固な油汚れ」を落とした。油の廃液の処理方法には迷ったが、Kさんが「ティッシュに水分を吸収させ、可燃ゴミとして捨てる」という案を出してくださったので助かった。

 午後からはトイレ清掃をすることにして、昼食とした。Kさんのワゴン車の後部で食べた。僕はいつも通りおにぎり2個。Kさんはカセットコンロでお湯を沸かし、カップ麺とレトルトのご飯を作った。

 また、Kさんは沖縄楽器の「三線」を嗜んでいて、今回もワゴン車に積んで持ってこられていた。食事後、沖縄の歌を色々と聴かせてくれた。

 長めの昼休みを取り、「そろそろ行こう」という雰囲気になった時、Kさんが「ちょっと昼寝しよう」と言った。晴れの日の屋外作業であればこんな悠長なことは言っていられないが、あいにく今日は雨。僕たちは仮眠を取ってから午後の作業に挑むことにした。

 午後からのトイレ清掃では、公民館の方が清掃依頼するトイレは一箇所だけだった。だが、僕の方から「他に清掃した方が良いトイレはありませんか」とフォローすると、別のトイレも清掃して欲しい、となった。

 避難所のトイレは随分と清潔だった。普通に使える。被災地のトイレは、汚れが「人外」のレベルに達しているところもある。電子レンジの清掃を震災ボランティアに依頼する辺りから判断しても、この避難所は「恵まれている」と思う

 聞けば、避難所のトイレ清掃は「シルバー人材」もやっている、という話だった。Kさんが「普段できないところを掃除しましょう」と提案されたので、僕もその案に賛成した。

 トイレ清掃をするうち、Kさんが「換気扇が汚れている」と気付いた。さすが設備系の技師で、僕にはない発想だった。早速、公民館の方から脚立を借りてきて、換気扇のダクト(?)を掃除した。凄い量の埃が出て来たが、だからこそやった価値があった。

 トイレ掃除を終えると、既にいい時間になっていた。僕たちが作業終了報告の後、「他にやることはありませんか」と尋ねると、色々と雑談になった。

 避難者数はピーク時の約180名から現在は約20名へ。仮設住宅や借り上げ住宅への移動が進んでいて、避難所は徐々にその役割を終えようとしていた。

 Kさんは持参したお茶の葉を公民館の方々に渡した。そして、色々と感謝されつつ、僕たちは避難所を後にした。

 山田宏哉記

【関連記事】
震災ボランティアの戦友たち 合同葬儀準備篇
震災ボランティアの戦友たち いわきの夜篇
震災ボランティアの戦友たち 被災家具搬出篇
震災ボランティアの戦友たち 床下浸水対応篇(2011.5.15)
震災ボランティアの戦友たち "災害ゴミ"運搬&ガレキ撤去篇(2011.5.14)
福島県南相馬市での震災ボランティア体験記(2011.5.5)


Tweet

 2011.5.28 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ