ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2991)

 震災ボランティアの戦友たち 側溝/ドブ川泥掻き篇

 昨日(2011年6月4日)、福島県のある市町村で震災ボランティアをした。

  10:30〜12:30 側溝泥掻き
 13:30〜15:00 ドブ川泥掻き

 この日の朝、ボランティアセンターに行くと、「側溝の泥かき」作業に30名の募集がかかった。「力仕事」であることが強調されたが、人数が足りなかったので、女性も動員された。それでも30名には届かなかった。

 必要な資材としては、一輪車3台、角スコップ5本、剣スコップ3本、土嚢袋200枚、バール3本、ノコギリ2本、など。これをハイエース(トヨタのワゴン車)に積んで持っていった。

 リーダーを勤めたのは、いわき市在住のIさん。今回、初めての参加。地震前は、地元について特に何も思わなかったが、震災と原発事故で「いわきを離れたくない」と思ったという。そして、「自分はいわきが好きなんだ」と気付いたそうだ。

 現場につくと、身体的負荷の高い側溝とドブ川の泥かき担当班と女性の方にもできる「草刈り」担当班に分かれた。僕は当然、泥掻き班に志願した。

 意外に厄介だったのが、側溝のフタを開ける作業だった。側溝のフタは相当重い上に、ビッシリと敷き詰められているので、「最初の一枚」を持ち上げるのが難しい。しかも現場は、津波の浸水地域でフタの間に泥や砂が詰まっていた。

 最初の一枚は探訪先の「蓋開け機」を使用することで解決した。世の中には、側溝のフタを開けることに特化した用具が存在する。その機能性の高さに、僕も感心した。誰かが「このボランティアをしなければ、一生知ることのなかった道具だ」と言った。

 いざ、フタを開けると、側溝の中は酷い臭いがした。泥が溜まって、黒い水が堰き止められている。僕たちは早速、側溝に角スコップを突っ込み、掻き出したへドロを土嚢袋に入れる作業を開始した。

 最初は側溝の外に足を置いて、泥を掻き出していたが、効率がイマイチだった。そこで側溝の中に足を置くことにした。水位は15センチくらいだったので、安全長靴で対応できた。また、側溝の底を足裏で感じると、泥が残っている場所がわかるので都合がよかった。

 しばらく作業を続けると、普通に水が流れ始め、やがて角スコップが側溝の底のコンクリートを打つのみとなった。

 午前中に作業範囲の側溝はすべてへドロを掻き出した。そして、石灰を巻いて消毒。さらに開けたフタを元に戻した。

 その他、ドブ川に放置されたままになっている大きな"ゴミ"を撤去した。倒壊した家の一部である"木材"は、素手で折れる太さではないものもあり、ノコギリで切り込みを入れて、足で踏み折った。

 昼休み、Iさんは不足が予想される土嚢袋を取りにボランティアセンターに戻った。土嚢袋の使用が想定以上に早く、午前中に150枚を使った。

 昼食のおにぎりを食べていると、僕はTさんから話しかけられた。Tさんは地元の不動産会社に勤めているという。曰く「震災直後は仕事が猛烈に忙しくなったが、今はすることがない。入居したいというニーズはあるが、提供できる物件がないからだ」。

 Tさん曰く「建築関係者に聞いた話だと、津波の被害を受けて、1皆部分がぶち抜かれても、基礎がしっかりしていればリフォーム可能ということだ。但し、気持ちの問題は別。僕が震災ボランティアで入った現場で『住み続ける』という人はひとりしかいなかった」。

 「地元の人間は、野次馬で津波被害の様子を見に行った。遠方からボランティアで来た人は、作業をしてすぐ帰るのではなくて、津波被害の実態をよく見てから帰って欲しい」。

 昼食後、僕はTさんと散歩して"全壊地区"を見に行った。僕が個人的には探訪したこともある場所で、強く印象に残っている場所だった。津波で全壊したのかと思っていたら、地震と津波到来で、大火事が発生したらしかった。

 散歩の途中、Tさんがボランティアで作業に入り、家財道具を運び出し、土嚢を積み上げた家があった。家の前には「解体承諾」の貼り紙があった。

 「撤去するのか」。Tさんが呟いた。作業したときは、解体するとは聞かされていなかった、という。

 昼休み後は、"ドブ川"の泥かきに取り掛かった。泥の中には各種生活用品やCDの盤なども混じっていて、生々しさが伝わってきた。

 僕たちは2人1組になって、ドブ川に入り、ひたすら角スコップで泥を土嚢袋につめて掻き出した。一人が角スコップを持ち、もう一人が土嚢袋を広げて待つ。作業するにつれ、水が流れ始め、水位が徐々に下がっていった。

 ドブ川も大方綺麗になったが、最後に"橋の下"のへドロが残った。この橋は大人がかがんでようやく下に入れるくらいの高さしかなかった。

 まず、Tさんが橋の下に突撃し、僕も橋の下に潜って外に泥を掻き出した。しゃがんだ姿勢での重作業は、猛烈に体力を消耗させた。

 橋の下の奥まで入ったTさんの方が、僕よりもきついポジションだった。だんだんTさんの掛け声が悲鳴に近くなってきた。「代わりましょうか」と声を掛けたが、Tさんはあくまで一番きつい場所で作業をすることにこだわった。

 後でTさんに聞いたところでは、今回の作業は「今までで2番目にきつかった」そうだ。

 小休止の後、Tさんと「このままのペースではとても終わらない」という話になった。そこで僕がTさんのポジションを引継ぎ、Tさんは橋の反対側から挟み撃ちにするように作業を進めることにした。

 僕は作業効率を上げるため、角スコップを左右両手に持ち、橋の下のへドロがある位置に突込むようにした。

 スコップになるべく多くへドロを乗せて後退し、橋の下から出たところで、土嚢袋に入れた。このやり方は格段に作業効率が良かった。"角スコップ2刀流"により、どんどん満杯の土嚢袋が積み上がっていった。

 そして、作業終了の時刻を迎えた。

 ドブ川はほぼ正常に水が流れるようになり、僕たちも作業をした甲斐があった。Tさんも満足げで、依頼主も喜んでいた。

 それでも、完璧にへドロを取り除くことはできなかった。それは仕方がない。そもそも、人員も資材も必要なだけ揃っていなかった。

 津波のへドロがたまった側溝清掃は、現在の震災ボランティア活動の「本流作業」になりつつあると感じる。ガレキ撤去は、ボランティアが処理できるところは、それなりに片付いてきているように見受けられる。

 帰りの車中、Tさんの口から「完全燃焼」という言葉を聞けて、僕も嬉しかった。完璧ではなくても、少しでも物事を良い方に運ぶ。それが、僕たちの矜持である。

 山田宏哉記

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 2011.5.28 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ