ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2992)

 震災ボランティアの戦友たち 被災家具合法投棄篇
 
 昨日(2011年6月5日)、福島県のある市町村で震災ボランティアをした。

 12:30〜16:00 被災家具合法投棄

 この日、ボランティアセンターで手続きをすると、僕ひとりで待機することになった。前日から持ち越した疲労が残っていたため、"軽い作業"にしたかったが、選択の余地はなかった。

 しばし待っていると、そこに東京から来たSさんがやってきた。聞けば、駅で財布を無くして、カードの停止手続などをしていて、遅れたという。言葉では「大丈夫」と言っていたが、何だか泣き出しそうだった。

 Sさんから「東京との交通手段」についてあれこれ聞かれたので、僕は高速バスの利用を進めた。僕は財布を無くしたSさんに高速バスの回数券を1枚譲ると申し出た。

 幸か不幸か、Sさんは回数券の受取りを固辞された。僕は「まぁ、ボランティアをやってると色々ありますよ。僕も側溝の泥掻きしているときに、携帯をドブに落としちゃったし。」と慰め、いざ作業に出発した。

 群馬県から来たKさんが、2tトラックを運転し、僕は助手席で地図を見ながら道案内をした。

 行き先は福島を代表する漁港のひとつ、有名な水族館がある辺りだった。そこの個人宅から搬出された"ゴミ"をトラックに載せ、港近くの集積場に運ぶのが、僕たちの役割だった。

 場では僕たちの到着を待っていて、すぐにタンスや机を荷台に積み始めた。僕は荷台に立って、廃棄する家具をなるべく多く積めるように調節した。釘が剥き出しの木材や割れたガラスなど、結構、危ないものも含まれていた。

 荷台が被災家具で一杯になると、僕たちは一旦、集積場に運ぶことにした。渡された地図では現場から20分くらいの距離。途中、いまだに信号が消えたままになっている道路を走った。

 アスファルトが剥がれたままの箇所もあり、道はデコボコだった。荷台に積んだ廃棄物が落ちるのではないかとヒヤヒヤした。

 地図で指定された工業地帯の場所に行っても、それらしき施設はなかった。人に聞こうにも、人がいなかった。iPhoneで調べると、渡された地図が間違っていることが判明した。

 集積場で受付(被災者の氏名・住所・電話番号等を記載)を済ませると、その先には分別された瓦礫の山が積み上がっていた。大まかに、木材のような可燃ゴミ、金属やガラスやブロックのような不燃ゴミ、家電製品の3つに分かれていた。

 僕たちはまず「燃えるゴミ」から廃棄した。思い出の家具といえども、重機で破砕される運命にあるので、文字通り荷台から放り投げた。腐食している家具はグチャッと潰れた。気色悪い虫が湧いているものもあったが、構わず放り投げた。

 次に"燃えないゴミ"を廃棄。金属片を次々と荷台から放り投げた。ガラスはそれらしい場所で割って放置。かなりいい加減だが、これくらいでないと、とても"ゴミ"を処理しきれない。

 そのとき、トラブルが発生した。トラックの荷台の後ろの囲い(?)を、勢いよくバタンと開いたら、外れて落ちてしまった。人力で直そうとしても、直らない。しかもこれは、産廃業者から借りてきたトラックだった。

 集積場にはジャージに茶髪の青年がいた。直せないものかと尋ねると、「荷台を持ち上げて、その間に取り付ければ良い」と助言を頂いた。果たして、その通りにやると、無事に元通りに戻った。

 「人は見かけによらず」という言葉を噛み締めながら、僕たちは青年にお礼を言い、集積場を後をした。

 集積場の場所を間違え、トラックの荷台のトラブルに時間を取られ、Kさんは焦っていた。おかげで、帰り道でまた2回、道を間違えてUターンをすることになった。

 集積場から戻る途中、僕は現場作業のリーダーに電話をかけ、家具や棚などの引き出し等に入っているものを分別するようにお願いした。ここが分別してあるのとないのでは、集積場での所要時間が大幅に違ってくる。

 しかし、僕の依頼はあまり伝わらず、現場ではロッカーの中に木材を詰めたりしていた。こういう積み方をされると処分に時間がかかる。

 また、2回目は3ドアの冷蔵庫を荷台に立てて運ぶことになった。荷を留めるためのロープが貧弱で、安全上、横に寝かせて運びたかった。しかし、現場は「それじゃ荷物が多く積めない」と主張した。結局、僕の方が折れた。

 いずれにせよ、積む人と降ろして捨てる人は、同一人物であることが望ましいと痛感した。

 2度目に集積場を訪れたときは、Kさんがガラスが詰められた土嚢袋を持ったとき、突き出したガラス片がKさんのズボンに引っかかって、そのままズボンを切り裂いた。幸い、皮膚までは達しなかったが、ヒヤリとさせられた。

 僕も危うく、木材の釘が突き出した部分を握るところだった。そういう意味では小さな危険の連続で、気が抜けなかった。

 最後に捨てたのは、懸案だった冷蔵庫だった。無事に道路に落とすことなく、運搬することができた。

 僕たちはトラックを廃家電置場に着け、冷蔵庫を荷台から突き落とした。これで作業完了だった。

 冷蔵庫は落下の衝撃でドアが壊れて外れた。「完全に壊れたな」と、Kさんはどこか満足げに言った。

 既に帰着の予定時刻を大幅に過ぎていた。帰りの車中、僕はこの日の作業を反芻しながら、「復興はまだまだ遠い」と感じていた。
 
 山田宏哉記

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 2011.6.6 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ