ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3002)

 無為に過ごしてしまった20代

 他人の評価がどうあれ、僕は「20代を無駄に過ごしてしまった」と思います。

 「20代でベストを尽くさなかった」ということは、自分が一番よく知っています。それを誤魔化すことはできないし、きっとこれからも、その痛みを引きずることになるでしょう。

 できれば僕は、10代後半の頃から、今している震災ボランティアのレベルの負荷を自分にかけたかった。当時は当時で、精一杯のつもりだったけれども、振返るとやはり、自分に甘く、現実との格闘を避けていました。

 大学に入学する前は、僕も「長期の海外旅行をしたい」とか「留学して、外国の大学院に進学したい」とか、一端の希望を抱いていました。

 しかし、具体的な期限も段取りも決めず、いつしか大学の単位を取ることに終始していました。そして気付いた時には、もう手遅れでした。

 同様に「20代のうちにしておきたい」と思うことは色々とあったはずでした。結果的に、それらの希望は殆ど叶えられていません。

 僕に足りなかったのは、「当事者意識」と「実践経験」だったと思います。斜に構えて世の中を眺めて、大上段に物事を論じるだけの役立たずでした。読書量は多かったが、実体験の裏打ちを欠けていたため、吹けば飛ぶような言葉を吐いていました。

 無為に過ごしてしまった20代。社会人になってからも「仕事+勉強で1日16時間になるようにする」と決めて実践してきたものの、「量に逃げた」面は否めません。

 100%集中して仕事をしてきたか、なるべく困難な仕事を引き受けてきたか、本当に重要なことを勉強してきたか。とても「イエス」とは言えません。もっと質に徹底的にこだわるべきでした。

 「過ぎたことを悔やんでも仕方がない」と言われれば、その通りです。

 だけど「このままでいいのか、いけないのか」という葛藤は、僕を駆り立ててきた原動力でもあります。

 「悔いのないように生きたい」と思う一方、「振り返って満足したら終わり」という矛盾した思いがあります。本能的に「ここで割り切ってはいけない」と感じます。

 そもそも、自分は何をしたいのか。そのために、いつまでに何をするべきなのか。

 これまでずっと、この問に正面から向き合うのを避けてきました。その代わりに、せいぜい「やらないよりは、やった方がよさそうなこと」をして、お茶を濁していた。

 それが僕の20代でした。
 
 山田宏哉記

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 2011.6.22 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ