ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3010)

 私がみた日本の中高年男性

 あえて当たり前の話をしたい。

 子どもの頃、身近に接する中高年男性といえば、父親や祖父、学校や塾の先生、近所のおじさんだったりする。大人は子どもに接するとき、少し特殊な顔を見せる。

 僕たちは、その特殊な顔だけを見て育ったにもかかわらず、それで中高年男性の実像を掴んだ気になっている。

 うまく表現するのが難しいが、僕が初めて、日本の中高年男性の顔をみたのは、大学時代、日雇いのアルバイトをしたときだった。

 運送会社の社員たちで、仕事中、散々怒鳴られた。でも、仕事が終わると陽気なおじさんたちに戻った。この落差がカルチャーショックだった。

 学生の頃、雑誌の編集記者に実地で取材のイロハを教えて頂いたときも、メチャクチャ厳しくて、怒鳴られてばかりだった。正直、「早く帰りたい」と思ったものだ。それでも、仕事が終わると、気前良くご飯を奢ってくれるおじさんに様変わりした。

 学生時代に従事していた武術の師匠も、弟子に対する厳しさが尋常ではなかった。但し、弟子に対して厳しい一方、一般の方に対しては随分と柔らかい態度だった。率直に言って、"まるで別人"だった。

 総じて日本の中高年男性は、相手と場面に応じて、見せる顔を変える場合が多い。特に仕事を通して関わりあうと、そのことがよくわかる。

 「同じ会社にいる」くらいでは、まだよくわからない。上司と部下の関係だったり、一緒にプロジェクトをやったりと、具体的な作業を通じて、初めてわかったりするものだ。

 口先だけの人間なのか、発言に行動が伴うのか。損な役回りを引き受けるのか、責任回避に終始するのか。一緒に仕事をすると、絶対に隠し切れない。だから、人間の嫌な面を見ることも多々ある。

 僕たちが見ていた父親の顔は、大抵、"子ども向けの顔"だ。

 家庭では「陽気なパパ」でも、仕事が絡むと態度や性格が豹変したり、厳しい決断を迫られる人は多い。

 だから、ひと世代前の男性は、家では仕事の話をしたがらない。「休日はいつも家でゴロゴロしている」というのも、実は"子ども向けの顔"なのだ(大抵、実際に父親が働いている現場を見ると、色々な意味でショックを受けると思う)。

 大人になっても、そんな「当たり前のこと」に気付かない人が、意外と多い。
 
 山田宏哉記

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 2011.7.5 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ