ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3013)

 震災ボランティアの戦友たち 土嚢袋運搬篇

 昨日(2011年7月9日)、福島県のある市町村で震災ボランティアをした。

 10:30〜12:10 被災宅からの災害ゴミ搬出
 13:15〜15:15 不法投棄ゴミの分別

 募集された作業メンバーは4名。地元のSさんがリーダーをつとめ、神奈川から来たIさんがサブリーダーを務めた。

 Sさんは化学プラントに勤務しているが、原発事故の都合上、奥さんと子どもは九州に避難させている、という(地元の人によると、そういう人は多い)。

 Sさんの親戚もは、南相馬に住んでいて、先日、津波被害の様子を見てきたそうだ。Sさん曰く「比べるのは何だが、ここよりも南相馬の方が酷い。南相馬の人たちは、津波が来ると想定していなかった」。

 Iさんは、いても立ってもいられなくなり、やってきた。「今後1年くらい、ずっと福島にいるつもり」という。自営で運送関係の仕事をやっているが、仕事も福島で探すことにするそうだ。

 震災ボランティアでIさんの心を揺さぶる出来事があった。それは津波被害を受け「もうここには住みたくない」と言っていた依頼主のお宅を丁寧に清掃したところ、「やっぱりこの場所で暮らし続けよう」と認識が変わったことだった。

 Iさんは何度もこの話をした。

 Iさんは「同じ地区の現場に入り続ける」ということに拘っていた。「色々な場所に行くのではなく、ひとつの場所で街が変わっていく様子を見届けたい」とのことだった。

 資材は書類上は「特に必要なし」となっていたが、これまでの経験から判断して、土嚢袋50枚、スコップ4本、竹箒、ブルーシートを調達して現場に向かった。

 依頼主のお宅には1メートルくらいの津波が到来した。倒壊は免れたが、床上浸水で畳や多くの家具がダメになった。家の外では流されてきた冷蔵庫がチャポチャポと揺れていたそうだ。

 軒先には既に土砂を詰めた土嚢袋があったので、僕たちはまず、それをハイエースの荷台に詰めて仮置き場に運ぶことにした。その際、Iさんが両手に一個ずつ土嚢袋を持って運んだので驚いた。土を詰めた土嚢袋は数十kgある。僕はいつも1つずつ持っていた。

 災害ゴミの仮置き場は、行くたびにゴミの量が増えていた。重機で無駄なスペースがないようにゴミを圧縮するものの、絶対量が多い。以前は道だった場所に、新たにゴミの山が築かれていた。

 厄介なことに、仮置き場のゴミをこの後どうするかは決まっていない。

 仮置き場から戻ると、僕たちは依頼主のお宅の倉庫から、陶器類や家具など、使えなくなった道具類を搬出した。レンガやブロックもあったが、こちらは倉庫を解体する際、業者に引き取ってもらう、ということだった

 午前中に廃棄予定のものはすべて運搬し終えることができた。

 そして、乾してあった畳を家の中に搬入した。他のボランティアの方からは、「濡れた畳はメチャクチャ重い」と聞いていたが、幸い、乾いていたので2人で持てば楽だった。搬入を終えた所で、任務完遂。

 昼食は依頼主さんが玄関先を貸して下さったので、そこで食べた。ちょうど「南相馬市の牛からセシウムが検出された」というTVニュースをやっていて、酪農家の方が「死活問題」だとインタビューに答えていた。

 不意にIさんがTV画面を見ながら、「おじさん、泣いてるじゃないか」と言った。Iさんの言う通りだった。平静を装ってインタビューに答えているものの、確かに南相馬の酪農家の方は泣いていた。
 
 依頼主の方は手厚くもてなして下さり、缶コーヒーの差し入れに加え、食後にメロンと柏餅(?)まで出して下さった。

 午後は、別の現場の作業支援に向かった。依頼内容は「不法投棄されたゴミ類の分別」。本来は産業廃棄物として処理すべき建材が、どさくさに紛れて津波被害を受けた地区のゴミ置場に捨てられていた。

 こちらの依頼主さんのお宅は、被害が甚大だった地区の沿岸部にあるにもかかわらず、奇跡的に津波被害を免れていた。話によると「到来する津波が途中で2つに割れ、自宅はその間にあったので助かった」そうだ。実際、隣りの家はアウトだった。

 また、依頼主さんの話によると、震災当日の地震後、2人の若者が堤防の上から海を眺めていた。そのうちひとりは、とっさに身の危険を感じ、自転車で全速力で逃げた。もうひとりは、その場に留まった。逃げた方は辛うじて助かり、海を眺め続けた方は亡くなった、という。

 不法投棄の方の現場はガラス片が多数、堆積物の中に埋もれていた。それを逐一分別していく。ガラスと瀬戸物も分ける。念のために持ってきた資材が、ここで大いに役立った。

 現場付近の放射線量は毎時3.8マイクロシーベルトという話だった。原発30km圏内で、津波被害を受けたままの地区の瓦礫や泥を撤去するのは、リスクと隣り合わせではある。

 大抵は、放射線量を計ってないし、防護服も着ていない。

 時間切れで作業を完遂することができず、次に継続となった。

 帰りの車中、僕は意地悪くIさんに「他の現場にも入ってしまいましたが、どうでしたか」と尋ねてみた。Tさんの答えは「場所が近いから、大丈夫です」だった。
 
 山田宏哉記

【写真】福島県いわき市。災害ゴミの仮置き場。本文とは関係ありません。


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 2011.7.15 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ