ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3018)

 2011年の南相馬 津波到来後の大地をゆく



















































 先日(2011年7月17日)、福島県の南相馬市を探訪した。

 原発事故の影響で、首都圏やいわきから南相馬に行くのが不便になった。公共交通機関を利用していく場合、福島駅で相馬・南相馬行きの臨時運行バスに乗るのが比較的便利だ。片道1,500で所要時間は2時間になる。

 南相馬は僕が初めて震災ボランティアをした場所だったが、そのときの仕事は「救援物資の仕訳」だったため、津波被害を目にすることはなく、ずっと気にかかっていた。

 相馬の原ノ町駅(JR常磐線)は震災以後、電車が運転休止中。但し、駅の中のコンビニは営業していた。冷房が効いていて、バスの停留所にもなっているので、待合室に人がチラホラいた。

 一眼レフカメラを首からかけて、いかにも取材に来たという風貌の人もいた。

 原ノ町駅から海岸部までは数キロあったので、タクシーで行くことにした。駅前にタクシーはおらず、駅員の方に聞くと「備え付けの電話で呼ぶか、直接、タクシー会社に行って欲しい」と言われた。近所だったので、直接タクシー会社に行って乗せてもらった。

 タクシー会社は、開店休業状態のようにみえた。訪ねると事務所から乗務員さんが出てきて乗せてくれた。

 僕には、タクシーの運転手に「津波被害が酷いところに行って欲しい」と言う勇気がなかったので、沿岸部の東北電力のグリーンパークに行ってもらった。「駅前でタクシー見当たらないですね」と話をふって、震災関連のことをあれこれ聞かせてもらった。

 タクシーの運転手によると「津波で家が根こそぎ持っていかれた」という話だったが、当初、僕はその意味がよくわからなかった。海の近くでは、全半壊の家があまり見当たらなかった。

 僕が驚いたのは、海の近くでは、津波被害が確認できないことだった。

 家が基礎の土台ごと流失しているので、津波到来前の南相馬と逐一比較しないと、被害がよくわからない。

 もともと家があったのか、なかったのか。それが問題だ。

 家の基礎部分のコンクリートだけが残されていれば、かろうじて「ここには家があったけど、全壊したのだな」とわかる。「壊れた家」を確認できる場所は、実は津波被害が比較的軽微なのだった。

 また、川ではないところを水が流れ、池ではないところに水が溜まる。津波によって、地形が変わってしまったようだ。

 津波被害を受けた田畑。冠水(?)して藻みたいなのが張っていた。どうみても、農業を再開するのは相当困難のように思える。
 
 瓦礫置き場は、いわきでは市民の目に触れにくいように配慮されているが、南相馬では堂々と野ざらしになっていた。しかも分別が大雑把だ。

 南相馬を後にするとき、僕の気持ちはもう決まっていた。またここで、震災ボランティアをしよう、と。

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 山田宏哉記

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 2011.7.22 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ