ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3019)

 なぜ、真面目な人は成果を出せないのか

 大抵の人が薄々気付いているけれども、正面切っては言いづらいことがある。

 そのひとつが「実社会では、真面目な人はあまり成果を出せない」ということだ。

 学校教育の価値観に照らせば、真面目であることは、むしろ望ましい資質と考えられている。一生懸命勉強して、テストでいい点を取る生徒をバカにする親や教師は殆どいないでしょう。

 では、真面目であることの、何がいけないのか。これを合理的に説明するのは、とても難しい。それでも、ビジネスパーソンであれば、思い当たる節がある方が大半でしょう。

 一言で言えば、真面目な人は物事の価値判断ができていない。

 何が自分にとって死活的な案件で、何が手を抜いていい案件なのか、それを判断できない。建前と本音の区別が付かず、建前通り、一様に「どれも大事」と考えてしまう。これがいけない。

 真面目な人は、どうでもいい所で躓き、どうでもよくない案件が時間切れになってしまったりする。学校教育の価値観では「たっぷり時間をかけて成果を出す」ことが賞賛されるが、ビジネスの現場ではコストパフォーマンスに合わないことは、しない方がマシだ。

 さらに、真面目な人は建前を真に受けてしまうため「他人の気持ちが読めない(ことが多い)」という点も見逃せない。

 良くも悪くも愚直なため、余計な部分で他人を苛立たせたりする。だから真面目な男はあまり女性にモテないが(結婚相手としては別)、この辺はつながった話だ。

 僕は学校教師は、生徒に「真面目は評価の対象外」だと教えた方がいいと思う。一生懸命勉強してテストでいい点を取る生徒より、ロクに勉強せずにいい点を取る生徒を褒めた方がいい。実社会で活躍できるのは圧倒的に後者のタイプだ。

 ロクに勉強せずにテストでいい点を取る生徒は、短時間で重要なポイントを押さえている。真面目な人は「どれも大事」と考え、膨大な時間をかけるため、コストパフォーマンスが非常に悪い。少なくとも、大学生になったらこういうことは押さえておきたい。

 特に取り柄がない人を「いい人」と評するように、要領が悪くて結果を出せない人を評して「真面目」という。

 蛇足となるが、僕が「真面目な人」を叩くのは、それが過去の自分だからだ。

 社会人になって以来、仕事と勉強に1日16時間を投下してきたが、成果は芳しいものではなかった。この敗因は僕の「真面目さ」にある。

 いつもどこかで「真面目に頑張っているのに」と思っていた気がする。それが自分の拠り所だった気がする。

 でも、そうじゃない。真面目に頑張っているから、ダメなんだよ。

 たったこれだけのことなのに、気付くのにあまりに多くの時間がかかったし、払った代償は大きかった。

 山田宏哉記

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 2011.7.25 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ