ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3021)

震災ボランティアの戦友たち 街宣車をめぐる騒動篇

 先日(2011年7月24日)、福島県のある市町村で震災ボランティアをした。

 10:30〜15:15 瓦礫撤去

 この日の朝、ボランティアセンターに行くと、入口前に街宣車が駐まっていた。駐車禁止の場所にもかかわらず、誰も注意しなかったようだ。

 グループ分けをしたところ、僕は街宣車で来た方々5名と同じチームになった。リーダーを募集したが誰も手を挙げない。さすがに普通の人には荷が重いような気がしたので、僕が現場リーダーをやることにした。

 依頼内容は瓦礫撤去だったので、僕たちは必要資材をハイエースと街宣車に積んで、現場に向かった。街宣車の方々は非常に協力的で、移動中に軍歌等も流さなかったので、助かった。

 僕はWさんの車に乗せてもらった。Wさんは東京で自営業者をやっていて、毎週、日帰りで福島に来ているという。東京在住で毎週ボランティアをしている人には初めて会った。

 街宣車の方々と一緒に作業することについては、あまり気にしていないようだった。

 現場は既に何度も行ったことがある地区だった。依頼者宅は新築にもかかわらず、津波で半壊状態になった。「生命が助かっただけマシ」と言えばその通りだろうが、相当に気の毒ではあった。

 依頼者宅のすぐ隣にも家があったが、こちらは津波で全壊した。この家が「盾」になったため、依頼者宅は半壊で済んだように思われる。僕たちはこの全壊した家があった敷地の瓦礫を撤去した。

 街宣車の方々は途中で道を間違えたらしく、なかなか現場に到着しなかった。他のメンバーに作業内容を説明した後、「先に始めていいかな?」と迷った。しかし、待っていても仕方ないので、先に作業を開始し、街宣車の方々には改めて作業内容を説明することにした。

 津波で堆積した土砂の中には、瓦やブロック、木材やガラスが含まれていて、これを分別するわけだが、クマデのような資材が不足して、作業効率が悪かった。街宣車の方々からも「クマデがあるといいですね」という要望を受けていた。

 そこで、近所の神社で作業用の資材を貸し出している、という話を聞いていたので、そこから調達してくることにした。

 神社へはOさんのハイエースで取りに行った。Oさんは民間企業の人事屋をやっており、新入社員を震災ボランティアに連れて来ている、という。「英語の勉強もいいけど、こういうことの方が勉強になるぞ」と言っているのだそうだ。これは僕も同感だ。

 神社の前には、作業着を着た若者がいた。ボランティアかと思ったが、聞けば神主さんだった。事情を説明すると快くクマデ類の資材を貸していただけた。

 おかげで作業効率が大幅に向上した。

 メンバーが効率よく作業できる環境を作る。だから、リーダーはあまり自分の作業に没頭してはいけない。このことは常に心にとめている。

 なお、街宣車の方々が作業のやり方を間違えている時、注意するのは結構気を使った。それでも「ちょっと待って下さい。キチンと分別する必要があります」くらいのことは言った。

 ボランティアセンターの方でも相当に気を使っていたようで、スタッフから密かに「街宣車の方々は、音などを出していませんでしたか。何か問題はありませんか」などと確認があった。「いえ、ありません」と答えておいた。

 昼休みは、浜辺の波打ち際で海を眺めていた。被災した建物の写真を撮っているメンバーもいたけど、昼休み中なので僕は黙認した。

 僕たちは優先的に大きな石やブロックを撤去した。現場には下水管を通すための「トイレの穴」があって、液体が溜まっていた。その上に倒壊したブロック塀が覆い被さっていた。このブロック塀を取り除くと、周囲に強烈な臭いが漂った。

 残念なことに、今回の現場作業ではケガ人が出た。棘が刺さったのと擦り傷で大したことはなかったが、場所が場所なので、消毒は必須だ。僕自身、地面に埋まったブロックを引き抜こうとしたら、あっさり抜けて、後ろに倒れるというヘマをやって、擦り傷ができた。

 作業はこの日のうちには終わり切らなかった。随分と綺麗にはなったが、堆積する土砂の中にはまだまだ瓦礫等が含まれている。後日また続きとした。

 メンバーが18名いたし、街宣車がボランティアセンターに戻っても他の人が困るだろうから、現地解散とした。大きなトラブルもなく、僕はちょっとホッとした。

 神社に資材を返しに行く際、Oさんに「右翼もいたのにリーダーを引き受けたのは、大したものだと思いますよ」と言われた。「やっぱり皆、彼らがいたからリーダーをやりたくなかったのでしょうか」と聞くと、Oさんは「そうだと思う」と答えた。

 帰りの車中、僕はWさんに「ボランティア活動中に写真撮影するのをどう思うか?」と聞いてみた。これは継続的に震災ボランティアをしている人なら、大抵、直面する問題だ。

 Wさん曰く「昼休みや作業終了後に撮るならいい。でも、活動中には、写真撮影するべきじゃないと思う。観光に来たわけじゃない。記憶に留めておけば充分だ」。不思議なことに、僕たちはほぼ同じことを感じていた。

 それにしても今回は、リーダーとしての真価が問われることの連続だった。

 山田宏哉記

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 2011.7.27 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ