ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3022)

 他人の不幸を願う理由

 Twitterに不用意な書きこみをすることで問題にケースが散見される。僕はこの手の話にずっと違和感を覚えていた。

 例えば、学生がTwitterで飲酒運転やカンニングを告白し、それで大学が謝罪したり、学生に処分を下したりする。

 例えば、スポーツ選手の飲み会での発言がTwitterに流れ、チームの監督が謝罪する事態になったりする。

 実際に飲酒運転やカンニングをすることと、「飲酒運転をした」「カンニングをした」と公の場で発言することは意味が全く違う。

(特に飲酒運転のような違法行為は、現行犯逮捕でない限り、逮捕には慎重であるべきだ。例えば、「Aさんが酒を飲んだ後に車を運転するのを目撃した」と警察に通報したら、その目撃証言を根拠にAさんが逮捕される。こういう社会は、相当の危うさを孕んでいる)。

 それなのに、なぜ本人に「そういう書込みはやめた方がいいですよ」と連絡せずに、匿名掲示板に「◯◯さんが◯◯を告白!」みたいな書込みをして騒ぐのか。その理由は「他人の不幸は蜜の味」の格言通りで、僕たちは誰かの生活が破綻することを望んでいるからだ。

 内定を得ている学生がTwittier でカンニングを告白したとする。それを「匿名掲示板でスレッドを立てて祭りにしよう」とか「内定先企業に連絡して内定取消にしてやろう」とか考えるのは、果たして人として立派な振る舞いなのか。どうみても、悪意に溢れている。
 
 スポーツ選手の飲み会発言がTwitterに流れて問題になった件も、早い段階で「そういうことは書くものじゃないよ」と注意すれば済んだ話だ。

 それをせずに匿名掲示板等で騒ぎ立てるのは、明らかに物事が悪い方に転がることを望んでいる。

 人間はどうやら「自分よりも下の存在」を必要とするらしい。実際、「自分が一番下」だと非常に居心地が悪い。

 江戸時代の士農工商制度で、多数派の農民の下に工商を置き、さらにその下に被差別部落民を置いたのは、是非はともかく、相当に鋭い人間理解である。

 TVに出演するクルクルパーなアイドルや芸人が担っている重要な役割は、視聴者にとって「自分よりも下の存在」であることだ。

 不遇で頭の悪い人ほど「誰かをバカにしたい」と思っている。もちろんこれは、劣等感の裏返しなのだが、こういうニーズがあるのは確実だ。案外、TV局はこの種のニーズに応えているだけなのかもしれない。

 誰もが安心してバカにできること。近頃はそれがTVからはみ出して、Twitterでの不用意発言が問題になるという形で立ち現れている。

 ウェブでの「祭り」の当事者たちは、たぶん「あいつは自分よりも倫理的に悪いことをやっている」ということを盾に、自分たちの後ろ暗い感情と振る舞いを正当化している。

 多くの人にとって、幸福感はあくまで相対的なものなのだろう。他人の幸せに唾を吐き、他人の不幸に歓喜する。誰かをバカにすることで安心感を得る。不遇の日々を送り、生活が困窮すると、こういう感情が大きな位置を占めるようになる。

 自分の幸せを感じるために、他人の不幸を願う。まぁ、それを含めて人の世だ。

 山田宏哉記

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 2011.7.28 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ