ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3025)

 震災ボランティアの戦友たち 床上浸水総合対応篇

 先日(2011年7月31日)、福島県のある市町村で震災ボランティアをした。

 10:00〜15:45 畳上げ、床上げ、床下清掃等

 昨日朝、ボランティアセンターに行くと、「ブロック塀の撤去」の仕事が募集中で、すかさず挙手した。しかし、スタッフの作業内容の説明が要領を得ず、必要人員の見積もりがいい加減だったので辞退した。こういう「嫌な予感」は大抵当たる。

 「ブロック塀撤去」の次の案件は、個人宅の畳上げ、床上げ、床下清掃だった。床上げは本職の大工さん3人組が担当するということで、その他の力仕事でさらに3人必要とのことだった。男性限定の募集で、すかさず挙手。

 大工さん3人組は、岡山から片道14時間かけて福島までやって来ていた。18時に岡山を出発し、翌8時に福島到着。そして、そのまま5日連続で力仕事の震災ボランティア活動。リーダー格のNさんは、66歳。かなり常軌を逸している。

 僕はKNさんの自動車に乗って現場に向かった。KBさんとKNさんは、共に東京在住だが、震災ボランティアを通じて知り合い、気があったので、一緒に来るようになったそうだ。本職はKBさんがSE、KNさんは職人だった。

 この日の明け方、福島の浜通りで震度5強の地震があった。KBさんは、真っ暗な寺に宿泊中で、相当に怖かったそうだ。

 今日、いっしょに作業をしたKBさんは、東京で勤務しているが、一時期毎週末、宮城県石巻市で震災ボランティアをしていたという。金曜夜に出発し、月曜朝に帰ってくる。これを実際にやっている東京の社会人がいたとは思っていなかった。

 先週出会ったWさんもそうだったが、ほぼ毎週末、東京から福島に駆けつける震災ボランティアは何も僕だけではない。これまで既に4人出会った。

 現場は50〜60センチの津波が押し寄せた所だった。近所は、解体撤去する家がある一方で、補修や清掃をして住み続ける選択をする人もいる地区だ。依頼者のケースはかなり特殊だが、津波被災宅を補修・清掃し、人が住むとのことだった。

 依頼者の意向は「全部捨てる」というものだった。「土足で良い」とのことだったので、僕たちは安全靴を履いたまま畳の部屋に上がった。そして、用意したゴミ袋と土嚢袋に、食器や衣類、壁に掛かった絵などを次々と詰め込んだ。正直、かなり心苦しかった。

 小物をゴミ袋と土嚢袋に詰め込み、箪笥等も搬出し、僕たちは畳の撤去に取り掛かった。畳は1枚持ち上げると、他の畳も剥がしやすくなった。

 皆、一人で軽々と畳を持ち上げて運んだ。僕も何とか一人で畳を運んだが、指がちぎれそうなほど重かった。

 職人のKNさんは、大工のNさんを「先生」と呼び、床板を剥がす技術などを教わっていた。

 畳を持ち上げると、床板が露出した。大工さん3人組は、それを見るなり「白蟻にやられているよ」と言った。試しに一枚剥がし、木材を掴むと、グシャッと潰れた。白蟻が木材の中身を食い荒らしていて、家を支えているはずの木材がスカスカになっていた。

 Nさんによると、この白蟻被害は、津波とは関係ないらしい。白蟻被害は火事と同程度の被害になり、白蟻が2階の柱まで食い荒らすともはや家を取り壊すしかないという。その割には、住んでいる人は、白蟻被害に気付かない。これはかなり怖いことだ。

 依頼宅の床板は白蟻被害でボロボロになっていたため、もはや全面取替するしかなさそうだった。そのことが、修繕費用を抑えたいと考える依頼者にはショックだったようだ。

 床下には、津波の汚泥が表面の数センチを覆っていた。その下には、「もともとの土」があったので、僕たちは表面数センチを削り取り、その土を土嚢袋に詰め込んだ。

 依頼宅から出た廃棄物をトラックに積みこみ、仮置場に運んだ際、問題が起きた。依頼者が持っていた用紙に市役所のハンコが未押印だったため、ゴミを受け付けられない、という。Nさんは「この後に及んで、役所は何をやっているんだ」と怒った。

仕方ないので僕たちは搬出した廃棄物を降ろし、再び依頼者宅に運び込んだ。「バカらしい」という空気になって、しばらく休憩となった。こういう手戻り作業があると、意欲が著しく損なわれる。

 災害ゴミを廃棄するための押印が足りなかった件、ボランティア・センター経由で役所に連絡し、何とかこの日のうちに押印して貰うことができた。そして、この日のうちに廃棄することが可能になった。

 作業は主要な部分は完了したが、木材等の廃棄と床下の石灰撒きなどが残り、継続案件とした。

 津波被害と一口に言っても、家が根こそぎ流失する場合、全壊する場合、半壊する場合、床上浸水する場合で、事情は異なる。

 床上浸水は「被害が軽微」とは言えるが、被災家具の廃棄、床や畳の総取替、床下の汚泥撤去や石灰撒き等が必要で、その負荷は重い。改めて、そのことを痛感した。

 Nさんたち3人は、この日を最後に、岡山に戻るという。KBさん、KNさんと僕も、作業後は東京に帰る。福島で、そんな奇跡のような一瞬があったことを僕は忘れない。

 山田宏哉記

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