ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3028)

 下っ端の頃、不遇もまた良し

 誰もが、早く"下っ端"のポジションから脱却したいと考える。

 でも僕は、"下っ端"のポジションを割と気に入っている。人間として学べることが非常に多いからだ。半分は負け惜しみだが、「不遇もまた良し」と僕は思う。

 「下座の業」という言葉が示すように、僕は、人間として最も豊かな学びが得られるのは下っ端の頃だと思う。僕の人間観察眼は、日雇い労働や掃除屋といった底辺労働をしている頃に培われた。

 僕たちを「社会のゴミ」とバカにする人もいれば、申し訳ないくらいに丁寧に接してくれた人もいた。人間の裏表に接するのは、下っ端の頃でないとなかなか難しい。下手に偉くなると、誰も注意すらしてくれなくなる。

 今にして思えば、日雇いや掃除屋をバカにしていた人は、組織内で不遇だったのだとわかる。自分がされて嫌なことを、敢えて他の誰かに対してやる。人間にはそういう面があり、それに自分も加担するかは、問われるところだ。

 組織内で下っ端であっても、別に卑屈になる必要はないし、むしろこのポジションでしか得られないものを大切にした方がいいと思う。自分でウェブを運営し、熱心な固定読者がいれば、実生活では下っ端でも、生活満足度は高い。

 高いポジションは有限で、誰もがそこに到達できるわけではない以上、下っ端であっても、日々の生活から充実感を得られることが大切だと感じる。

 他者からの評価や組織内での出世は、自分で決められることではなく、主目的にはならないと思う。

 ベストを尽くして、いい仕事をして、成果を出しても、低い評価しか得られないこともある。その逆もある。むしろ、世の中はそういうものだと心得た方が賢明だ。

 同じ速度、同じ品質で仕事をしても、気が合う人には「速くて正確だ」と言われ、気が合わない人には「遅くて雑だ」と言われたりする。

 実際、僕に一目を置いて高く評価して下さる方もいれば、そうではない人もいる。結局は、「好き嫌い」や「相性の良し悪し」がモノを言う。

 こういうのは、ごく当たり前のことで、いちいち気にしていたらキリがない。僕だって、気が合わない人を不当に低く評価しているはずだ。

 目的はあくまで、いい仕事をすること、腕を磨くことに定めたい。

 綺麗事かもしれないが、下っ端であっても、いい仕事をすることはできるし、僕自身、それを誇りに思っている。

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 山田宏哉記

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 2011.8.9 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ