ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3032)

 定職を持たない生活

「就職できない若者」が増えている、と言われる。それは悪いことなのか。

一昔前は、「定職がない」と言うと、それだけで白い目で見られたように思うが、今はそうでもない。僕も、無職の若者を侮ったりはしない。現代では、定職についてなくても、それなりに納得のいく生活を送れると思う。

ウェブに接続できる環境があれば、情報面で不自由することはない。今は興味深い記事も随分と無料で公開されているし、青空文庫では過去の名作が無料で読める。音楽や映像もウェブへの蓄積が進んでいる。

また、公共図書館を利用すれば、大方の新聞・雑誌・書籍を無料で読むことができる。結局のところ、新聞を購読したり、雑誌や書籍を買うのは「手元で好きなように読める」という"便利さ"を買っているのであって、その気になれば無料でも読めるものだ。

さらに、アウトプットの場としてウェブを活用することもできる。

もちろん、着飾ったり、車を乗り回したりしようと思えば、お金が必要になる。でも、別になくても構わない。他人の真似をする必要もない。

よく感じることだが、お金を払って手に入るものには、別に大した価値はないのだ。ブランド品を買って、他人に見せびらかしたところで、軽薄さのアピールにしかならない。

僕自身、住む場所とウェブに接続できる環境さえあれば、他のことは二の次でいいと思っている。そうすると生活が随分と安上がりなものになる。

お金と自由時間の関係は、二律背反になりやすい。学生時代は、時間があってもお金が足りず、社会人になるとお金があっても時間が足りなくなる。

学生時代にやっていた掃除屋の仲間たちは、午前中に働いて生計を立て、午後は好きなことをしていた。

僕は今でも時々、掃除屋として週5で7-13時勤務で生計を立てていた頃が、最も理想型な生活に近かったのではないか、と思う。

当時は、本を読む時間、原稿を書く時間、ウェブのメンテナンスをする時間を贅沢に確保できた。その上、武術にも熱心に取り組むことができた。

定職がないと困るのは、賃貸住宅を借りたり、クレジットカードを作ったりするときだ。あと、男性の場合、女性受けが良くない。この辺りの問題が解消されれば、「定職を持たない」という選択も、それなりに魅了的なのではないかと思う。

また現在、定職についている人にとっても、「定職なしでも生きていけるんだ」という認識を持つことには意味がある。なぜなら、その余裕さえあれば、失職してもいきなり「電車にダイヴ」とはならないと思うからだ。

 山田宏哉記

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 2011.8.16 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップt