ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3033)

 南相馬、老舗喫茶店の店主に訊く

 本日(2011年8月17日)、福島県南相馬市原町にある昔ながらの喫茶店を探訪した。

 福島第一原発からの距離は26km程度、放射線量は毎時0.44マイクロシーベルト程度の地域だ。

 僕は魚定食を注文し、食べ終えた後、コーヒーを注文した。店主が「店は19時までなんです」と言った。メニューには22時まで営業と書いてある。

 時計を見ると、既に19時を過ぎていた。「失礼しました」と言って会計を済ませようとすると、店主は「コーヒー、作りますよ」と仰った。

 「ボランティアで来ているのですか?」。不意に店主に聞かれたので、「そうです」と答えた。店主によると、最近は震災ボランティアが結構店に来ているらしい。

 このやりとりをキッカケにして、僕はコーヒーを飲みながら、店主に以下のような話を伺った。

 「この辺り(原町)には本当に人がいなくなった。40%くらいの住民は避難している。」

 「子どもはいないし、学校も病院もやっていない。この辺りで働く人もいなくなった。放射能は目に見えないから厄介。緊急時避難準備区域が解除されれば戻ってくるかと言うと、そういう問題じゃない。」

 「商売は今後の先行きが不透明。だから、店の営業時間も短くした。私は商売柄、ここにいるしかない。もう歳だから放射線がどうこうというのは気にしない。」

 「海の方の津波被害は本当に酷い。今ではここからちょっと行くと、海が見えてしまう。以前は森や家があって海の近くまで行かないと、海は見えなかった。今は何もなくなってしまった。もう怖くて海の方には行けない。」

 「3月11日を境に、私の人生は一変してしまった。今まで70年生きてきて、初めての経験だ。この店も40年やっている。いつもの年であれば、春には桜が咲いて、気持ちも弾んだものだ。しかし今年は、桜の記憶もないし、全くそういう気持ちになれない。」

 僕には話を聴いて、頷くことくらいしかできない。部外者があれこれ口を差し挟むことができる問題でもない。

 南相馬市で生まれ、南相馬市で育ったある高齢者の女性も「自分も津波で流されれば良かったんじゃないかと思う」と言っていた。その胸中は、南相馬で生きる当事者でなければわからないだろう。

 ここで生きるしかない。あえて一言で言えば、たぶんそういうことだと思う。

 「また来ます」。僕はそう言って、喫茶店を後にした。

 山田宏哉記

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 2011.8.17 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ