ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3035)

 震災ボランティアの戦友たち
 避難準備区域/灼熱の側溝清掃篇


 先日(2011年8月18日)、福島県のM市(福島第一原発から20〜30kmの緊急時避難準備区域)で震災ボランティア活動をした。

 朝、ボランティア・センターに行くと、昨日、一緒に作業をした面々が数多くいた。自動車メーカーに勤務するKさんに挨拶すると、Tさんを紹介して頂いた。

 この日の力仕事は側溝清掃のみだったが、KさんもTさんも僕も、当然のように側溝清掃を選択した。

 側溝清掃の作業人員は27人。スタッフから「現場は、放射性物質が飛んでいるから」という理由で、長袖、長ズボン、防塵マスクは必須という説明があった。

 連日続く大きな案件で、リーダーは毎回現場に入っているSさんが務めた。

 軽トラ2台に、必要な資材(一輪車5台、剣スコップ15本、角スコップ10本、草刈機1台、バケツ、土嚢袋等)を積んで現場に向かった。

 現場は海から数百メートル地点の田畑の脇にある側溝だった。この辺りの田畑は、津波で塩を被って使いものならなくなっていた。泥を掻き出す側溝は、畦と道路のあいだのV字に窪んだ部分にあり、足場が非常に悪かった。

 まずリーダーのSさんがスコップで泥を掬い、バケツに張った土嚢袋に詰める方法を実演した。その後、メンバーを3箇所の現場に割り振った。

 僕は、スコップで泥を掻き出す係に専従した。泥は、約30センチ程度堆積していた。泥の上の方は茶色いが、下の方は炭のような色をしていた。スコップを突き立てられる程度には軟らかい。臭いはさほど気にならなかった。

 張り切って作業を開始したものの、直射日光が照りつけ、ものの10分で作業着が汗まみれになった。しかも足場が悪く、要領を掴みづらかった。すぐに息が上がってしまい、自分の基礎体力の低さを反省したが、この時間帯はどうやら皆きつかったようだ。

 全体休憩になる前から、適時、小休止を入れ、持ってきた水で水分を補給した。ハッキリ言って、きつい。作業そのものも重労働だが、それに加えて炎天下の中での作業なので、本当に参った。

 昼休み、木陰で水分を補給し、おにぎり2個を食べ、13時まで昼寝をした。疲労が酷く、ここで身体を休めておきたかった。

 午後からも、ひたすらスコップで泥を掬って、土嚢袋に詰めた。最初の持ち場が終わると、次は数日前「体力がない人たち」が担当した箇所の「仕上げ」をすることになった。

 「体力がない人たち」が作業した箇所は、側溝の底の泥が取り除かれていたものの、側溝の脇の処理が甘かったため、雨が降ったりすれば、すぐに脇の泥が側溝に流れ込むようになっていた。そこで側溝の脇の土を削り、一旦、側溝の中に落として土嚢袋に詰めた。

 側溝の脇には草が生い茂っていて、そういう場所の土を削り取るのは、一定の基礎体力とスコップを扱う技術が必要だった。僕は側溝の中に入って、角スコップの先端を側溝脇の削る場所に当て、前方に蹴り込むようにして土を削っていった。これが一番速かった。

 午後の休憩時、依頼者の方がカキ氷の差し入れをして下さった。これが抜群に美味しかった。作業人数は3人増えて30人となり、カキ氷の数は29個だった。非常に申し訳ないことに、全員に配った方の分がなくなってしまった。

 事情を知ったメンバーがカキ氷の配付をした方に「君の分も頑張るよ」と声を掛けた。

 休憩後、一気に側溝脇の処理を終えた。作業を開始した時に比べると、身体が慣れ、効率が格段に上がっていた。一緒に作業しているメンバーに「スコップの使い方が上手いですね」と褒められ、僕は上機嫌だった。

 その後さらに、道の脇に積み上がっている泥を土嚢袋に詰めていった。丁寧にやればキリがない作業だったが、できるだけのことをした。そして、作業終了。

 これまでで1、2を争う条件の厳しさだったが、持ち場の作業を完遂したため、達成感は大きかった。

 僕たちは、ボランティア・センターに戻り、資材の清掃をした。後片付けが終わると、Sさんが簡単な挨拶をして、解散。

 解散後、洗い場でKさんが作業着を洗っていた。曰く「これをホテルで洗濯するのは顰蹙ものだ」。確かに、Kさんは側溝の水気がある部分で清掃作業をしたことにより、作業着が泥だらけになっていた。

 Kさんと雑談をしていると、Tさんも交えて「今夜、飲みに行こう」という話になった。

 数時間置いて、僕たちは居酒屋に行った。Tさんは「ホテルの水道管が破裂して、風呂に入れなかった」と怒っていた。

 僕たちは4時間半に渡って語り合った。その結果、「皆が嫌がる場所だからこそ、ここに来た。そして、素晴らしい出会いがあった。まだまだ日本は捨てたものじゃない」という認識で一致した。

 やっぱり僕たちは、同じことを感じ、同じことを考えていたのだ。 

 山田宏哉記

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 山田宏哉記

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 2011.8.21 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ