ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3043)

 なぜ、カリスマ・リーダーは人を育てられないのか

 アップルは魅力的な製品を作るが、就職先や取引先としては、あまり良い評判を聞かない。重要なことは、全てスティーブ・ジョブズが決めてきた(らしい)ため、社員は仕事の腕を磨きにくいだろう、と思う。

 カリスマ的な人物がリーダーを務める組織では、部下や弟子の実力があまり伸びない。このことに気付いている人は多いと思う。

 僕もいくつか、カリスマ・リーダーがいる組織に所属していたことがある。カリスマ・リーダーは、「社長」であることもあれば、「先生」であることもあったが、共通していたのは、組織の成員には、自律的に物事を考える力が欠けていたことだ。

 カリスマ・リーダーのいる組織では、従業員や弟子の主要な関心事は「カリスマの言うことを正しく解釈すること」だった。だから、何をするにも二言目には「カリスマはこう言った」とか「カリスマの本にはこう書いてある」などとなった。

 そもそも、カリスマ・リーダーと、カリスマを崇めて追従するフォロワーでは、生来の気質が全く違う。カリスマは大抵、傲慢にも「俺が一番」と思っているが、そのフォロワーは誰かに服従することで精神衛生を保っている。

 だからこそ、カリスマ・リーダーが君臨する組織では、自分の腕を磨くことより「カリスマへの忠誠を競い合う」ことに知的リソースの大半が使われる。そして「少しでもカリスマに近付く」ことがメンバーの目標となる。

 そしてもちろん、カリスマを超えることは絶対に許されない。部下や弟子の側にも「カリスマを超えてはいけない」という自主規制が強烈に働く。

 カリスマ・リーダーも、当人が意識するしないに拘わらず、社員や弟子が、自分の頭で考え、独自の工夫をすることを望まない。「俺の言う通りにしていればいい」と思っているし、そうやって社員や弟子たちの面倒をみていることを誇りに思っている。

 そのため、自律的に物事を考えるメンバーには「なぜ、言われた通りにやらないのか。教えを忠実に守らないのか」などと難癖をつける。

 カリスマ・リーダーは客観的な指標よりも「自分と似ること、そっくりになること」をもって「メンバーの成長」と見做しがちだ。大抵、カリスマにも欠点はあるものだが、その欠点までも真似することを暗に要求する。

 僕はカリスマ・リーダーが君臨する組織のメンバーとは、相性があまり良くなかった。カリスマの実力は認めて敬意を表するが、主要な関心は自分の腕を磨くことで、「カリスマへの忠誠競争」に参加する気は全くなかった。

 どうもこの態度が不評だったらしいが、結果的にはこれで良かったと思っている。

 ドラッカーもまた、カリスマ的なリーダーシップを否定するのは、それが人材育成にとって有害な存在であることを見抜いていたからではないか、と思う。

 「俺について来い。俺の言う通りにやっていればいい」というのは、リーダーとしては適切な態度ではない。

 だからこそ、僕は敢えて学生には「社長がやたら有名な会社には就職しない方がいい」と言っておきたい。その理由は、上記の通りだ。

 山田宏哉記

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 2011.9.4 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ