ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3066)

 山本直人(著)『電通とリクルート』覚書

 山本直人(著)『電通とリクルート』(新潮新書)を読了した。これが、期待以上にインスパイアされた良書だった。

 ただ、タイトルと内容が微妙にずれていて、この部分で若干損をしているように感じた。仮に僕が編集なら、タイトルを『広告の欲望』か『広告で踊る人々』とし、副題を「電通とリクルートの現代史」としたい。

 余談だが、電通の本社ビルは汐留にあるが、まさに「権力の象徴」といった感がある。高層の46・47階は景色の良いレストランになっていて、どこか特権意識をくすぐられる絶妙の仕掛けになっている。

 行ったことのない人は、ぜひ一度、足を運ぶ価値はある。

 話を戻すと、本書には広告ビジネスに対する刺激的な洞察と言葉が散りばめられている。例えば、「『広告に踊らされる』という表現こそあるが、そう簡単に人々は踊らない。『踊ってもいい曲』をずっと待っていて、『これならば』という時に踊るのだ。」(P45)という具合だ。

 僕が本書の白眉と考える洞察は以下の記述だ。これには思わず眼から鱗が落ちた。

 [引用ここから]

 およそ30年間にわたって、電通とリクルートは意図せざる共振を続けていた。人々は「いかに働きいかに消費するか」ということを考え続けてきた。

 自由と自立は、それぞれが大切で維持されるべきものだと信じられた。しかし、それを守るために、人々は情報に依存した。

 徐々に船酔いの原因がわかってきただろうか。ここに来て若手社員は、「一生同じ会社につとめる」という志向性を高めていることが複数の調査で明らかにされた。それを若者の保守化と決め付けるのは簡単だ。しかし、彼らは直感的な懐疑を働かせているように思える。

 就職活動の時期に浴びるような情報を浴びて、ようやく就職した会社を辞めていく先輩たちがいた。ところが彼らは、また同じように就転職ビジネスの情報に頼って新しい仕事場を見つけようとする。

 真の問題は、仕事の内容にあったのだろうか。それよりも、期待した仕事との落差にあることも多い。そして、その期待は情報によって高められたものだ。偽リアリティのマス広告やドラマが成立しなくなったように、「自立した生き方」もまた幻影であることに気付いたのだろう。(P189-190)

 [引用ここまで]


 僕たちは「仕事への満足度」においても、知らず知らずのうちに、広告ビジネスの影響を強く受けている。恥ずかしながら、僕はこのことをあまり自覚していなかった。

 例えば、通勤電車の中でリクルート・エージェントの車内広告をよく見かける。

 豊川悦司氏と「ココロが動きだしたら、自分らしく走り出せばいい」といった魅惑的なキャッチフレーズが並んでいるのだが、僕自身、何かしら感じるところはある。

 おそらく、今の自分の仕事内容、報酬額や評価といった部分に完全に満足している人は、あまりいないと思う。実際にするかは別として、「転職を考えている」というビジネスパーソンは案外多い。

 どこかに「もっと自分に適した仕事」があるのではないか。

 しかし、そんな漠然とした感慨もまた、転職業界に吹き込まれた誘惑なのかもしれない。

 広告に並ぶ、破れた夢の残骸や"自分らしさ"という幻影。

 僕たちは一見、自分で価値判断しているように見えるだけで、実は広告ビジネスが喚起した欲望の上で、踊っているだけなのかもしれない。

 山田宏哉記

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 2011.11.6 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ