ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3069)

 「辛さ」を美化する愚

 為末大氏が「練習が辛い事と、練習効果があるかどうかは、関係がない」という趣旨の話を書いていて、「『辛さ』を美化する愚」というフレーズが思い浮かんだ。

為末大:練習の辛さと、練習効果の関係について
http://tamesue.cocolog-nifty.com/samurai/2011/11/post-ab20.html

 自分にも思い当たる節があるが、人は自分の辛い体験を正当化しやすい。つい、「こんなに辛い思いをして頑張っているのに」とつぶやいてしまう。

 日本には「より辛い体験をした人が偉い」というおかしな文化がある。だから、成果とは関係なく、睡眠不足で過労死寸前まで働く人がもて囃されたりする。そしていつしか、成果を上げることではなく、睡眠不足で過労死することが目的になってしまう。

 戦時中は、「欲しがりません、カツカレー」とか言って、竹槍で戦闘機に立ち向かおうとした。その結果は決定的敗北だった。僕たちは今でも、個人レベルで同じ過ちを繰り返し続けている。

 辛さに耐えれば、自信になる。それは僕にもわかる。

 では、辛さに耐えて自信を付ければ、仕事ができるようになるのか。圧倒的な成果を出せるのか。

 僕は「ノー」だと思う。そもそも、自信が必要になるのは、大抵、技能や技術が足りないときだ。残酷だが、ここはシビアに判断しなければならない。

 辛さに耐えながらできる仕事はせいぜい単純作業だけで、それは大して価値のある仕事ではない。接客や営業ならばなおさら、「辛さに耐えて」するものではない。

 関連して言うなら、「公私混同をするな」とか「仕事に好き嫌いを持ち込むな」みたいな「一見、立派なこと」を言う人は、たぶん価値の高い仕事をしていない。

 圧倒的な成果を出すには、自分が好きな得意分野に集中する必要があり、義務感で仕事をするようでは、とても太刀打ちできないのだ。

 現実には、人は辛い目に遭うと、性格が捻じ曲がり、卑屈になり、楽しそうに生きている人の足を引っ張るようになりやすい。

 「自分はこんなに頑張っているのに、あいつらはチャラチャラしやがって」と怒りが込み上げてきて、まともな思考ができなくなる。

 そのうち、「辛い思いをすること」そのものが自分のアイデンティティと一体化して、人生の目的になってしまう。

 冷静に考えれば、辛さに耐えたからと言って、仕事ができるようになるわけではないし、恋人ができるわけでもない。むしろ、「運に見放される」ことを心配するべきだろう。

 こだわるべきは、あくまで「勝つために何をすべきか」という点だ。そして、そのプロセスが辛いか否かは、実はどうでもいいことなのだ。

 山田宏哉記

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 2011.11.16 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ