ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3072)

 震災ボランティアの戦友たち 廃墟からの出発篇
 
 先日(2011年10月29日)、福島県のある市町村で震災ボランティア活動をした。

 いつも利用してきた震災ボランティアのボラセンも、今日で閉所される、という話を聞いた。そのため、急遽、駆けつけることにした。

 震災から7ヶ月が経ち、そろそろ区切りをつけるべき時が来たとは思っていた。

 ボランティア活動の拠点になった通称「スーパーハウス」やその周りに集まるボランティアたち。僕にとっては見慣れた光景だったが、こんな光景が見られるのも今日で最後と思うと感慨深かった。

 この日、自分から挙手するのはやめ、他の人に作業を譲ろうと思っていた。ボラセンから人が送り出されるのを見届け、それで仕事がなくなったら、そのまま帰ろうと思っていた。

 募集される案件は、被災家屋の片付けが中心で募集人員も数名と小規模だった。僕はそんな様子を眺めていた。すると、ボラセンのスタッフから指名で僕に案件がまわってきた。

 紹介された案件は、津波で集落がまるごとなくなった地区での被災家屋の復旧作業。リーダーはUさんが務め、メンバーは12名だった。

 当初、現場にはマイクロバスで向かう予定だったが、他のグループとの調整上、個人の車に乗り合わせて行くことになった。現場はあまり知られていない全壊指定地区で、立ち入り規制がされていた。車窓から地震と津波で散乱した墓石が見えた。

 現場は、津波で集落が丸ごと消えてしまっていた。依頼者は普段は東京に住んでいるとのことだった。 依頼者宅は、半壊状態で(地区ごと全壊指定を受けているので、公式には「全壊」)現状保存することになっていた。しかし、住む予定はないという。

 午前中は、床板を剥がして、津波で流入した砂を箒やスコップを使って、取り除いた。集めた砂は土嚢袋に詰め、外に持ち出した。Uさんが現場で素晴らしいリーダーシップを取ったため、作業は順調に進んだ。

 昼休み、僕は海岸を散歩した。浜辺には、震災の物故者のための墓が作られていた。

 午後、庭に大きな穴ができていたので、「土」を運搬してきて、穴を埋めることになった。但し、あいにく一輪車の数がひとつしかなかった。

 そこで僕たちは、一輪車の他にポリバケツを用意し、土を「人力」で運ぶことにした(厳密には僕は反対したのだが)。スコップで5杯程度、土を入れるだけで相当重くなり、運ぶのはきつかった。

 僕たちは、一輪車、ポリバケツ、スコップの係をローテーションで回しながら、依頼者宅まで土を運び続けた。庭の穴が埋まる頃には、僕はヘトヘトになっていた。でも、どこか懐かしい疲労で、とても気持ちがよかった。

 そして、後片付けをして現場を離脱。依頼者の方にも感謝して頂けたようで、納得のいく1日だった。

 但し、道は厳しい。今後、この地区に住む人は、たぶん殆どいないと思う。依頼者の方の「3月の震災直後より今の光景の方が辛い。瓦礫がなくなり、廃墟になってしまった」という言葉が何より印象的だった。

 瓦礫撤去がほぼ終わり、ようやく「廃墟からの出発」が始まる。それは僕自身の歩みとも奇しくも重なり合う。

 僕は20代の大半を無駄に過ごしてしまった。それはもう、取り返しがつかない。それでも、20代最後の夏に、福島で汗まみれになって復旧作業に貢献できて、一矢報いることができた。

 福島では色々な出会いがあった。震災がなければ、巡り合うこともなかったかもしれない。僕はこれから、福島で積み重ねた一期一会の記憶を胸に生きていく。たぶん、これでいいのだろう。

 半年前と比べて、僕は随分と変わった。当初、僕にとって震災ボランティアは、不遇な日常からの逃避の意味もあった。今はこのような経験ができたことを、とても感謝している。僕は立ち直ることができた。

 廃墟と化した集落をみながら、僕は不意に思った。まだ、何も終わっていない。本当の戦いはここから始まる、と。

 山田宏哉記

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 山田宏哉記

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 2011.10.11 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ