ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3078)

 公教育への気付き -その効用と限界-

 公立の小学校、中学校、高校を卒業してから、もう10年以上が経った。実社会で働きながら、かつて受けた学校教育を振り返ると、色々なことに気付くものだ。

 日本の公教育はさほど優秀とは言えないボリューム層(多数派)をターゲットにしている。そういう教育は地味だが、とても大切だと僕は思う。読み書きソロバンも怪しい人と仕事をする度、僕は公教育の大切さを実感する。

 多くの人には、そもそも学習意欲がなく、「強制力」がないと、基本的な知識もないままに大人になってしまう。「強制力」とは具体的には定期試験や入試のことだ。個人的には試験や入試はくだらないと思っていたが、教育施策としては必要だったと思う。

 時々、日本の公教育が「エリートを潰している」という意見を見かけるが、そんなことはないと思う。頭の悪い教師の押し付けや同級生からの過剰な同調圧力で潰されるくらいなら、そもそもエリートの器ではない。それだけの話だろう。

 日本に過剰な同調圧力があることは僕も認めるが、気にしなければそれで済む。むしろ、同調圧力が気になるようでは、「その他大勢」の中の一人にしかなれない。

 さて、今になって強く思うのが、公立学校の教師にとって、最も価値の高い仕事は「生徒指導」だということだ。将来、社会に迷惑をかけそうな不良少年たちの根性を叩き直すこと。これは絶対にIT化できないし、教育者にとって最も大切なことだと思う。

 イジメを放置したり、タバコを吸っている生徒を見てみぬ振りをする教師は、それだけで教師失格だ。たとえ生徒から金属バットで殴られようと、指導すべき点は指導しなければならない。それができないなら、偉そうに能書きを垂れる資格はない。

 でも、そこまでする覚悟がある学校教師はたぶん殆どいない。

 実のところ、多くの学生が「学校教師になりたい」と思う本当の理由は「実社会で働きたくないから」だと僕は思う。

 別にそれが悪いとは言わない。自分が大学までで学んだことを後ろ向きに再利用して、生徒たちを指導する。でも、生徒の側でも、そういう「負け犬教師」は見抜いた方がよい。

 僕自身は、学校があまり好きではなかった。教室で授業を受けるよりも、独学や読書の方が効率よく知識を身に付けられると思っていたし、実際、その通りだった。

 それでも今は、日本の公立学校はそれなりに優れていると思う。

 山田宏哉記

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 2011.11.28 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ