ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3095)

 実務家からみた"学校教育の本質"

 僕は6〜18歳の12年間、小中学校と高等学校で学んだ。大学、大学院では計7年間学び、今年で働き始めて5年目になる。

 ビジネスの世界でも、担当者として、ある程度は自分の裁量で仕事を進め、一定の成果を出せるようになった。

 そして改めて、「学校教育とは何だったのか」と振り返って問うた時、初めて気付かされることがあった。

 そもそも、なぜ、学校で勉強する必要があるのか。

 本質的な回答は、おそらく「若いうちに『努力をすれば、結果を出すことができ、高い評価を得ることができる』という信念と習慣を身につけるため」だ。

 「氏か、育ちか」の二項対立で言えば、「育ち」の側への全面的なコミットメントが教育思想の根本にはある。

 生徒として学校に通っていた頃は気付かなかったが、学校教育は「努力、結果、評価」が明瞭にリンクするよう、極めて人工的に作り上げたシステムだ。

 だからこそ、ビジネスの人事査定に比べれば、学校の成績表は格段にフェアなものになる。少なくとも学校の成績が、勉強の理解度やテストの点数とは全く関係なく、全面的に「教師の好き嫌い」で決められることはないだろう。

 学校教育は「素質による生徒の序列化」を隠蔽し、「頑張った者が結果を出し、高い評価を得る」という価値観を生徒の身体に植え付ける。だから日本で言えば「主要5科目」を通して、生徒たちは優劣を競い合う。これは「(比較的)努力が報われる分野」であることに注意が必要だ。

 学校教育は「教育訓練で改善できないこと」には感知しない。

 10代の少年少女に「頑張った者が結果を出し、高い評価を得る」という価値観を習得させるのは、基本的に必要だし、望ましいことだ。

 たとえそれが、現実社会を動かす文法ではなくても、目標を持ち、向上心と自己研鑽を肯定することは、社会人になっても必要な姿勢だ。

 今にして思うと、学校教育にとっての"敵"は「素質による序列化」であり、これから生徒たちを守るのは困難を極める。美人の女子生徒がクラスの人気者になり、身体の大きな生徒が身体の弱い生徒をいじめる。感受性の鋭い生徒たちはそこに本当の「現実」を見る。

 例えば、学校の徒競走で「順位をつけない」ことが時々話題になる。これを「悪平等」と指摘するのは、実は本質から外れている。問題の本質は、徒競走が短距離走で、教育訓練で改善できる余地が少なく、素質(更に露骨に言えば遺伝子)がモノを言う点だ。

 「努力が報われない分野の物事」は学校教育にとっては劇薬であり、これを注意深く避けるという方針はおそらく間違ってはいない。

 学校が「頑張った者が報われる場所」であるなら、例えば尾崎豊は何に対して反抗していたのだろうか。本人の自覚とは無関係に、結果的に、尾崎は「頑張った者が報われる教育システム」に異を唱え、恋愛を讃え、「素質の序列化」を肯定した。

 学校に通う生徒たちも、中高生になれば、異性からの人気が集中する人と、そうではない人が明確に分かれる。嫌でも「素質がモノを言う世界」を味わい、「圧倒的不平等」を痛感ことになるだろう。でも、それこそ世の中の本質であり、だからこそ学校より面白いのだ。

 ヤンキーや不良たちもまた「頑張った者が報われる教育システム」を否定し、「素質による序列化」を肯定する者たちである。

 普通の生徒は「成績が悪い生徒はカッコ悪い」という学校教育の価値観と「性的な体験がない奴はカッコ悪い」というヤンキー的価値観のダブルスタンダードに晒される。

 「素質の序列化」を肯定していたヤンキーたちが、卒業後、仕事で活躍していないのはなぜか。学校教育の本質「頑張った者が報われるシステム」を習慣として体得していないからだろう。だから、「自己研鑽による成長」がない。そのため「できちゃった婚」で人生が打ち止めになるのだろう。

 繰り返すが、学校は「頑張った者が結果を出し、高い評価を得られる」という価値観を身体に染み込ませるために設計された人工的な場所だ。

 残念ながら、現実社会は多くの局面で「頑張った者が報われるシステム」には、なっていない。中高生が恋愛の時に感じたような不条理は、仕事をしていれば日常茶飯事だ。それでも、向上心を持ち、自己研鑽を続けられるか。

 ここでこそ、学校教育の成果が問われることになる。実務家として、僕はそんな風に思う。

 山田宏哉記

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