ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3100)

 人員削減に貢献できる"何でも屋"

 ビジネスパーソンが生き残るためには、「"専門性を磨く"ことが重要」と言われ続けている。そのためは、職種変更は望ましいものではなく、「自らの担当範囲を限定し、その中で専門性を高める努力をするべき」のようだ。

 どうやら最近では、これがキャリア戦略の基本のようだ。"何でも屋"になるなど、もはや論外だということだろう。

 幸か不幸か、そんな時代に僕は"何でも屋"になってしまった。社会人になった当初は、「専門性を高めよう」と思っていたのだが、諸般の事情で、キャリアを棒に振らざるを得なくなった。

 その後、僕は、"みんなの嫌がる仕事"を全面的に引き受け、完遂し続けた。「所詮は、雑用」と馬鹿にされたこともあった。

 それでも、僕は一定の成果を出せるようになった。気付けば僕は、自分でもなりたくないと思っていた"何でも屋"になっていた。

 正直、僕は自分のキャリアに失望した。もっと専門性の高いことをしたかったし、「組織人としては、もう終わりだな」とよく思ったものだ。

 しかし最近、"何でも屋"にも強みがあることに気付いた。

 以前、本業以外の用件で、ウェブ作成に関する打合せに参加したことがあった。

 その時に強く感じたのは、仕事でウェブ作成に関わる人は基本的に"専門技術主導型"で、掲載するコンテンツにはあまり関心がないようだった。しかもチームで仕事をするため、担当範囲が局所的・限定的になっているように感じた。

 きっと彼らは、普段から「専門性を高めている」のだろう。

 僕はウェブ作成の技術レベルが話にならないくらい低いので、ウェブ製作者たちの打合せでは、実に肩身の狭い思いをした。

 しかし現実には、僕のような"低スキルの何でも屋"でも、仕事としてウェブページを作っている。これは、ウェブ作成に関して、"高い専門性"を持つ彼らからしてみれば、納得がいかないことだろう。

 これには、カラクリがある。

 ウェブの閲覧者からすれば「このウェブサイトには◯◯という技術が使われている」といった話は、どうでもいいことだ。それより重要なのは、あくまで掲載内容だ。

 僕はウェブページ作成に関しては、完全に「コンテンツ(掲載内容)主導型」で、「ソースコードの美しさ」といったことの優先度は低い。

 ところが、巷のウェブ製作者たちは、技術論に終始し、コンテンツに関心を払わない。

 だから、高い専門技術を持っていても、時に僕のような"低スキルの何でも屋"に足元をすくわれることになる。

 僕自身、最近思い至ったのだが、「専門性を高めることが、より良いキャリアに繋がるかどうか」は慎重に判断する必要がある。

 本音の話をしよう。

 特に中小企業にとっては、「高い専門性を持つ社員」よりも「担当できる範囲が広い社員」の方が存在価値が高いケースが往々にしてある。例えば「法務のエキスパート」よりも、経理・人事総務庶務・法務あたりを平均点以上でできる人の方が、損益(人件費抑制)に貢献できたりする。

 問題は、専門性を磨くことで、組織の損益に貢献できるかどうかだ。ここを慎重に見極めないと、ポジションごと"何でも屋"に乗っ取られることになりかねない。

 あまり表立っては言われないが、ビジネスの世界では「人員削減」への需要は常にある。企業がITを導入した表向きの理由は「業務効率改善」だが、裏の理由は「余剰人員の削減」だったりする。

 今まで3人の担当者がやっていた業務を、1人の優秀な"何でも屋"に担当させ、余った2人を解雇すれば、2人分の人件費を削減できる。全体のパイが縮む日本で本当に求められているのは、実は「専門性の高い人」ではなく、むしろ「人員削減に貢献できる人」ではないだろうか。

 日本企業で働く上で、若手社員がこだわるべきは、実は「自分の担当範囲を広げる」ことではないか、と今にして思う。上司は部下より担当範囲が広く、だからこそ、部下より高い報酬を手にしている。

 仕事で結果を出せば、次の仕事を任される。こうして担当範囲を広げれば、自ずと報酬とポジションもついてくるだろう。

 企業が業績の悪化により、人員削減を実施するにしても、優先的に切るのは誰か。他の条件が同じなら、おそらく担当業務の範囲が狭く、専門性も低い人から順に切っていくだろう。他の人がカバーしやすいからだ。

 さすがに「"何でも屋"になれ」とは言わないが、担当業務の範囲を広げておくことは、人員削減に対するリスクヘッジにもなる。

 自分の担当範囲を狭く限定し、その範囲で専門性を高める。最近の若い人はこういう働き方を望んでいるように見えるし、キャリアを棒に振る前はそう思っていたが、これは結構危険だと思う。

 経営視点からみると、そういう人はいざという時に「切りやすい」し、ポジションごと"何でも屋"に乗っ取られる可能性もある。

 僕は本業としても、文書作成、ウェブページ作成、アクセス解析による効果検証等をやっているが、こういう部分は案外、一人の"何でも屋"がまとめてやった方が強い。

 例えば、文書作成とウェブページ作成を別の担当者がやると、レイアウトや文言の部分で細かい不満が残ったりする。更にアクセス解析も別の担当者がやると、おそらく文書作成やウェブの設計へのフィードバックが不充分なものになる。

 残念ながら、僕は組織人としてキャリアを棒に振ってしまった。再起のためには、"何でも屋"に徹するしかなかった。

 それでも、そこから見える風景は、通俗的なキャリア観を覆すほどに貴重なものだった。

 山田宏哉記

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 2012.1.14 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ