ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (3102)

 キャリアを棒に振った"何でも屋"
 
 昨年、僕は濡れ衣を被り、キャリアを棒に振ることになった。僕は懲罰を受け、ホワイトカラーから"肉体労働者"に転換となった。

 ゴミを廃棄したり、大型シュレッダーで不要書類を裁断するのが、新たな僕の仕事になった。

 大型シュレッダーは、大量の紙を裁断すると、調子が悪くなった。僕はシュレッダーの刃の中に手を突っ込んで、紙屑を掻き出していた。

 ひとつ間違えば、大事故になる。でも、指を切り落としても、別に構わなかった。それくらい自棄になっていた。

 僕はプライドが高かったので「あぁ、山田は仕事ができなくて、左遷されたんだ。懲罰人事を受けたんだ。キャリアを棒に振ったんだ」と思われるのが、とても惨めだった。

 かつての職場の人からは「山田君、1日中、シュレッダーをかけてるんだってね!」「会社にスーツ着てくる必要ないだろ!」と言われて、僕は「落ちぶれたものだな」と自嘲した。

 そして、僕は毎週末、福島に震災ボランティアに出かけることにした。その経験を通して、僕は少し強くなった。

 僕は再起のために、"何でも屋"になるしかなかった。僕にとっては、福島での瓦礫撤去や側溝清掃も、その一環だった。

 そして、人生で最も過酷な半年間が過ぎた。

 僕はみんなが嫌がる仕事を全面的に引き受け、結果を出した。"何でも屋"にはなったが、高い評価を得た。しかし、僕は"何でも屋"の自分がとても不本意だった。

 自ら"何でも屋"になりたいと思う人など、いないだろう。僕だってそうだ。

 僕は今でも、キャリア戦略に関する記事などで「専門性を高めましょう」という主張を目にする度に、気が動転する。そして「うわぁ。あの時、僕のキャリアは終わったのだな。しかも濡れ衣で」と絶望的な気分になる。

 こんなことで、"何でも屋"として再起するしかなかった僕は、深く傷付くのだった。

 「キャリアを棒に振ったくらいでイチイチ騒ぐな。根に持つな」と言われれば、たぶんその通りだ。その通りだけど、一度しかない人生で、僕が最も大切にしている仕事の世界で、取り返しのつかない失敗をしたのは、やはり痛いし、とても悔しい。しかもこれが、"濡れ衣"となれば、尚更だ。

 今でも僕は、仕事を振り返って「圧倒的な成果を出した」と自己評価する一方、「ふん。僕は所詮、雑用担当の何でも屋ですよ」と自分に悪態をついている。

 僕が傲慢になりがちだったり、自分の成果をアピールしがちなのは、やはり劣等感の裏返しなのだろうと思う。どこかでもう一人の自分が「ふん。どうせ僕はキャリアを棒に振った"何でも屋"ですよ」と自嘲しているのだ。

 もちろん、いつまでも"何でも屋"であることに劣等感を抱えていても仕方ないだろう。そのメリットを逆手に取るだけの強かさが必要だ。例えば、事業構造の全体像を理解するには、"何でも屋"の方が好都合で、「経営視点」での仕事がしやすい。

 また、最近は"何でも屋"と言っても、肉体労働の比率は減り、得意な文書作成、編集、ウェブ作成関連の仕事をすることが多くなった。幸い、それで高い評価も得られている。

 それでも尚、僕は自分が"何でも屋"であることに、劣等感を持つのだった。

 自分の劣等感はなるべく自覚しているつもりだったけれども、「専門家としてのキャリアを断念したこと」を劣等感として抱えていたのは、明瞭に言語化して認識できていなかった。

 だから、今でも僕は「キャリアを棒に振った"何でも屋"」と言われると、結構傷付くのだ。

 山田宏哉記

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 2012.1.14 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ