ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3104)

 マイケル・サンデル(著)
 『これからの「正義」の話をしよう』覚書

 マイケル・サンデル(著)『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)を読了した。ベストセラー本ではあるが、面白かった。現代の政治経済を考える上でも、政治哲学が大切だと改めて気付かされた。

 個人的に特に関心の深いテーマは「生まれながらの不平等」と「努力できるという才能」だ。

 僕自身は「自助努力で生きてきた」という意識が強い。但し、あまり認めたくはないが、能力向上のために自己研鑽が積めること自体、実は一種の才能なのかもしれない。

 僕は物心付いた頃から、向上心が強かった。自分の能力を伸ばすことに、リソースを集中投下してきた。自分にとってはごく当たり前のことだったが、大人になってから、必ずしもそれは「普通のこと」ではないと気付いた。

 20歳前後は、僕の傲慢さが絶頂期にあり、本気で「向上心のない奴はクズ」と思っていた。

 それでも、僕が生まれた時代、育った環境に恵まれていたことは確かだ。例えば、腕力がモノを言う時代に生まれていたら、僕は落ちこぼれだった。

 果たして、向上心がなく、必要な努力もしないのは、本人の責任なのか。これは判断が難しい問題だ。「社会が悪い」という言い分は認められないが、「生まれた時代、両親の遺伝子、育った環境が悪かった」と言われると、反論は難しい。

 それでは「生まれた時代、両親の遺伝子、育った環境が悪かった」場合、その人はどう生きればいいのだろうか。

 たぶん「多くを望まない」のが幸せに生きる秘訣だと思う。そういう人に「向上心を持て」と言うのは、たぶん間違っている。

 僕にとっても「生まれた時代、両親の遺伝子、育った環境」は、無視できない重みを持っている。「自分の力でここまで来た」と言いたい所だが、実は単に「運が良かった」だけのような気もする。

 「生まれた時代、両親の遺伝子、育った環境」は、本人の努力ではどうしようもないが、その人の人生に決定的な影響を及ぼす。身も蓋もないが、人生で大事なのは「運の良し悪し」だ。

 「運の良し悪し」が重要ならば、僕たちはどうすればいいのだろう。おそらく、このような不条理故に、人は宗教を必要とした。神が人を作ったのではなく、人が神を作ったのだ。

 しかし今や、宗教や信仰にすがる時代ではない。

 世俗に生きるのであれば、勝者は驕らず、敗者は卑屈にならず、不公平な人生を受け入れる必要があるのではないだろうか。

 人生は本質的に不公平で不平等なものだ。お金持ちの家に生まれ、まともな教育を受けて育った子供と、パチンコ狂いの両親の家に生まれ、虐待を受けて育った子供が、同じ土俵で勝負するのは酷だろう。これも運の良し悪しだろう。

 「生まれた時代、両親の遺伝子、育った環境」に恵まれた人が、それに恵まれなかった人を打ち負かしても、実は何の自慢にもならないのではないか。むしろ、恵まれない人に勝ったことを自慢するなど、とても下品なことではないか。

 直観的に僕は「生まれた時代、両親の遺伝子、育った環境」に恵まれた人は、それに恵まれなかった人の分まで、社会に対して貢献する責務があるような気がする。いわゆる「ノブレス・オブリージュ」だ。

 だからこそ、「運に恵まれた人」が、外資系金融のような所で、自分の報酬のためだけに働き、浮浪者や貧乏人を見下して嘲笑するのは、人として何か根本的に間違っているような気がする。

 もっとも、昔は親の職業以外には選択の余地がなかったし、「身の程を知れ」という言葉にも重みがあった。間引きもあったし、幼くして死ぬことも多かった。「運の悪さ」を否応なしに引き受けるしかなかった。

 それと比べれば、現代社会は、少なくとも表向きは、平等で公平で、誰にでもチャンスが開かれている。昔は「運の良し悪し」が生死に直結したが、今はそれ程の重みはない。昔と比べれば、随分とマシな世の中にはなったのだろう。

 「運に恵まれた人」は自分の境遇に感謝し、「運が悪かった人」はその制約条件の中でベストを尽くす。運が良くても悪くても、自分で納得のいく人生を歩めれば、それでいいじゃないか。

 本書を読みながら、僕はそんなことを思った。

山田宏哉記

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2012.1.21 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ