ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3107)

 非情の決断力

 人の世を生きる上で、時として「非情の決断」をしなければならないことがある。人はよく、それを「諦める」という言葉で表現する。

 「非情の決断」の中でも、特に厳しいのが「人を切る、人を見捨てる」ことだと思う。

 繁華街の駅の周辺には、ホームレスや浮浪者がいる。通常、通行人の視界には、彼らの姿は映らない。

 時々、駅のホームから人が線路に落下する。自らの意志で飛びこむ人もいれば、酔っ払って落ちる人もいる。電車は彼らの上を通り過ぎる。駅員は「人身事故で電車が遅れます」とアナウンスし、人々は自分の予定が狂って不機嫌になる。

 小学校の頃、クラスにはいじめられている生徒がいた。僕たちは、いじめを止めないどころか、いじめに加担していた。人は「自分がいじめられるのが怖かった」と言い訳するが、本当は「人をいじめるのが楽しかったから」だろう。子供はとても残酷なのだ。

 大人になるにつれ、対象が身近な人になるにつれ、「見捨てる、切り捨てる」のがより難しく、痛みを伴うようになる。あまり魅力的とは感じない異性からアプローチされ、断るのもまた、「非情の決断」と言えるだろう。

 ビジネスの現場では、仲間や部下を切る時、「非情の決断」が必要となる。しかし、僕はこれをやるのは最終手段だと強く思う。単なる好き嫌いでやると、自らの信用を決定的に損なうことになる。

 「非情の決断」が作動する時、切る側の方が切られる側よりもダメージが大きいことは珍しくない。自分が「切る側」に立った時は、細心の注意が必要だとつくづく思う。

 例えば、「気に食わない部下を懲罰人事で左遷する」というケースを考えてみよう。

 こういう場合は、パワーハラスメントで部下がメンタルヘルス不全で「再起不能」になるくらいに叩きのめすことが重要だと思う。下手に左遷した部署でパフォーマンスを出されると自分のマネジメントに問題があったと見なされ、信用を失ってしまうからだ。

 部下を懲罰人事で左遷して「これであいつのキャリアも終わりだ」とほくそ笑んでも、キャリアを棒に振ったのは、実は切ったつもりの自分の方かもしれない。

 部下を切ったつもりでも、その後の元部下のパフォーマンス如何では、周囲から「部下に見限られた」と思われてしまう。部下を潰すと決めたら、やはり徹底的に潰すべきだ。

 執拗な嫌がらせや連続徹夜の下命などで「病院送り」にし、「あいつは病弱で使えない」と吹聴するべきだろう。

 とはいえ、身近な人を切り捨てる場合、極端な話、相手が死なないと安心できない。

 もっとも、意図的に部下を潰すのは、全くオススメできない。上手く部下を自殺に追い込むことができても後味が悪そうだし、下手をしたら自分が人生を棒に振ることになる。

 それくらいなら、むしろ「何があっても部下を守る」と覚悟を決めてしまった方がいいだろう。

 いざという時に「非情の決断」をする必要はあっても、優秀な人は物事がそういう方向に進まないように力を尽くすだろう。武術の稽古をしながら、日常生活では安全に気を配るのと似ている。

 できることなら、「非情の決断」は回避するのが望ましい。そのためにどれだけ手を尽くせるか。切る必要のない人を切らない。

 「非情の決断」を実践するに当たっては、たぶんこれが最も大切なのだと思う。

山田宏哉記

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2012.1.28 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ