ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3112)

 なぜ、あの人は余計なことをするのか

 あくまで一般論だが、「余計なことをする人」について考える機会があった。

 残念ながら、「余計なことをする人」は、良かれと思ってやったことでも、仲間に迷惑をかけてしまう。皆が集中している時にどうでもいい雑談をして気を散らしたり、重要な共有ファイルを勝手に削除してしまったりする。

 「指示待ちではなく、自律的な行動が大切」とは言うものの、仲間に迷惑を掛けないのは大原則だ。勝手な判断で重要な共有ファイルを削除して回るような人には「言われたこと以外はするな」と言わざるを得ない気はする。

 私見では、まず「余計なことをする人」はシステムやOA機器の操作に弱い。しかも、忙しい人にわざわざ何度も電話をかけて、細かい操作方法を質問したりする。その結果、チームに貢献するわけでもない。それでいて、本人には仲間に迷惑をかけている自覚がない。

 合理的に考えれば「余計なことをする人」は自宅待機にした方が良い。しかし、そういうわけにもいかないから、通常、あまり重要ではない仕事をして貰うことになる。

 しかし厳密には、組織において「重要ではない仕事」というのはないのだ。

 「余計なことをする人」は、基本的なシステムやOA機器の操作ができずに躓いているので、まずルーティンワークができない。

 に郵便物の発送やゴミの分別廃棄をやらせればいいかというと、必ずしもそうではない。「余計なことをする人」には郵便物では誤送付や発送忘れ、ゴミ処理では産業廃棄物の不法投棄などのリスクがあるので、安心して任せられない。

 「余計なことをする人」に顧客情報等のデータを扱わせるのは論外だが、単純なファイル整理であっても、勝手に重要ファイルを削除してしまうリスクを考慮しなければならない。

 当然ながら、「余計なことをする人」に組織の外部と接触のある仕事をさせるわけにもいかない。トラブルと組織のイメージダウンを招くだけだからだ。

 かつて、「余計なことをするある人」は、「シュレッダーにかける前に、他人の廃棄文書の中身をチェックしている。そうすることで色々な事情がわかる」と自慢していた。

 こういう人には文書廃棄も任せられない。

 念のために記すと、たとえ組織内であっても、他人の廃棄文書の中身は見ないのが基本的なマナーだ。自分がされて嫌なことは、他人に対してするべきではない。他人の廃棄文書の中身をチェックするのは、他人の家のゴミ箱を漁るのと大差ない。

 改めて考えると、「余計なことをする人」に任せられる仕事は、ほとんど「ない」ことに気付かされる。

 なぜあの人は余計なことをするのか。「余計なことをする人」が若手であれば、反省し、立ち直ることもあると思う。しかし、これが人件費の高い中高年男性となると、立ち直る可能性は低いし、チームの士気にも露骨に悪影響を及ぼすことになる。

 それでは、幸か不幸か、自分が「余計なことをする人」であることに気付いた場合、どうすればいいのだろうか。私見では、まずは職場の観察と情報収集に徹し、実作業をしないことが重要だと思う。

 誰も「余計なことをする人」に仕事のパフォーマンスは期待していない。「邪魔をしないでくれ」というのが、唯一の要望だ。つまり、何もしなければ、この目標は達成できる。

 ところが、「給料分の仕事をしなくては」などと意気込むから、余計なことをして、仲間に迷惑をかける。まずは、自分が「いない方がマシ」の人材であることを深く認識しなければならない。

 「余計なことをする人」がまず目指すべきは、「いても構わない人」だ。そのために何をするべきか、周囲をよく見て、必要な情報を集め、自分の頭でよく考える必要がある。

 隙を見計らって、上司や先輩に対して「僕が改善すべき点と改善のための具体的な方法を教えてください」と質問してもいいと思う(但し、そもそもこれができるのは「余計なことをする人」ではない)。

 私案としては、「余計なことをする人」は"レビュー要員"として活用することができると思う。"レビュー要員"に文書やマニュアルを読ませ、"レビュー要員"が内容を理解していれば、その文書やマニュアルは「わかりやすい」と判断することができる。

 仮に自分が「余計なことをする人」だと気付いたら、プライドを捨てて、"レビュー要員"に志願してはどうだろうか。「僕にも理解できた文書やマニュアルには、"わかりやすい"と太鼓判を押します!」とか言って。我ながら、これは意外にいいと思う。

 「"レビュー要員"に高い人件費を払うのは納得できない」というのは尤もだが、仲間の足を引っ張るだけの人を、チームに貢献できる人材に転換する意味は大きい。

 単純作業が次々と機械に置き換わる中、"レビュー要員"(悪く言えばモルモット)というのは、人間でなければできないので、将来性もなかなか有望だと思う。後はプライドをかなぐり捨てるだけだ。

 残念ながら、「余計なことをする人」は他の人と同じ土俵で働こうとするから、足でまといにしかなってしまうのだ。チームに貢献するためには、仲間よりも一段下に立ち「モルモット(実験台)としての役割を果たす」と決意することが必要ではないだろうか。

 山田宏哉記

【関連記事】
仕事の基本は報・連・相か(2012.2.5)
勝利の美酒に酔う前に(2012.2.2)
楽器演奏者が不遇な理由(2012.2.1)
シンガーソングライターの時代(2012.1.30)
非情の決断力(2012.1.27)
"教え合える仕組み"をどうつくるか(2012.1.24)
マイケル・サンデル(著)『これからの「正義」の話をしよう』覚書(2012.1.21)
期待外れの人材論(2012.1.21)
キャリアを棒に振った"何でも屋"(2012.1.18)
"努力は報われる"という信仰(2012.1.15)
人員削減に貢献できる"何でも屋"(2012.1.14)
社員とアルバイトは何が違うのか(2012.1.13)
プロフェッショナルは"努力"しない(2012.1.9)
怨念としての職務給・成果主義・雇用流動化(2012.1.7)
実務家からみた"学校教育の本質"(2012.1.3)
「キャリアの試練」を振り返る(2012.1.2)
プレイボーイはビジネスの強者か?(2012.1.1)
「上から目線」のあなたと私(2011.12.31)
「誰にも相手にされない"あの人"」との距離の取り方(2011.12.25)
「カネのため働く」という建前(2011.12.25)
有償サービスに求められるのは「体験」である(2011.12.24)
なぜ、あの人は仕事が遅いのか(2011.12.23)
"就活イベント"のビジネスモデル(2011.12.18)
なぜ、あの人は"お荷物"なのか(2011.12.16)
目の前にある仕事論(2011.12.15)
「強さ、鋭さ、温かさ」のキャリア戦略(2011.12.12)
"消えない汚点"を抱いて生きる(2011.12.10)
「強さ、鋭さ、温かさ」の人材論(2011.12.7)
藤本篤志(著)『社畜のススメ』覚書(2011.11.28)
"コミュニケーション能力"の落とし穴(2011.11.27)
長時間労働の落とし穴(2011.11.23)
"前例踏襲"に立ち向かい、"実績"をつくる(2011.11.19)
辛さを美化する愚(2011.11.16)
制約の中の決断(2011.11.13)
山本直人(著)『電通とリクルート』覚書(2011.11.6)
認められる努力は無駄である(2011.11.3)
なぜ、あのマネジャーは部下を潰すのか(2011.11.3)
"顧客への貢献"か、"長幼の序"か(2011.10.29)
評価という試練(2011.10.18)
人間固有の能力、動物としての強さ(2011.10.16)
瀧本哲史(著)『武器としての決断思考』覚書(2011.10.15)
増田不三雄(著)『社内失業』覚書(2011.10.9)
瀧本哲史(著)『僕は君たちに武器を配りたい』覚書(2011.10.5)
会社に頼ること、頼らないこと(2011.9.27)
成果主義と能力主義は違う(2011.9.25)
仕事を作る側、作業をこなす側(2011.9.19)
情報共有の落とし穴(2011.9.6)
なぜ、カリスマ・リーダーは人を育てられないのか(2011.9.4)
日本企業で働く希望 (2011.8.29)
なぜ、真面目な人は成果を出せないのか(2011.7.25)
安宅和人(著)『イシューからはじめよ』覚書(2011.1.1)



2012.2.5 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ