ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3122)

 随想:掃除屋の元上司 

 2004年から2008年迄のあいだ、僕は新宿の百貨店で掃除屋として働いていた。先日、久しぶりににその百貨店に行く機会があった。

 イタリアンレストラン、エスカレーター、屋上など、かつての清掃現場を懐かしく見てまわった。1階フロアを歩いていると、不意に、見覚えのある顔と清掃服が視界に入った。

 Nさん。当時、30代後半くらいだったと思う。掃除屋の元上司だった。Nさんは急いだ様子で階段を駆け下りて行った。声を掛けようとしたけど、残念ながら間に合わなかった。

 Nさんとは、特に真面目な話をした記憶がない。テンションが高くて、調子のいいことを言うNさんとの会話に、僕は「はぁ」と気の抜けたような反応をするのが常だった。

 僕が掃除屋だった頃、Nさんと百貨店の社員食堂でカレーを食べた記憶がある。何を話したかは忘れてしまった。

 百貨店の社員食堂は、請負に過ぎない僕たち掃除屋にも門戸が開かれていた。各種メニューを格安価格で食べることができ、金欠気味の僕にはとてもありがたかった。

 なぜ、Nさんは掃除屋になったのか。それはわからない。聞いてみたかったが、何となく、尋ねるのも失礼な気がした。それに僕も、あまり自分のことを話さなかった。

 当時、僕は学生だったので、他の企業に就職するという選択肢が残されていた。

 しかし、Nさんは違う。掃除屋の社員として、掃除を一生の仕事に決めていたように見えた。あまり、その部分には触れてはいけないような気がしたのだ。

 新卒で、清掃業界に就職を希望する学生はあまりいない。大学で一生懸命勉強したのに酔っ払いの吐捨物を処理したり、トイレで便器を磨くのが仕事では、確かに不本意だと思う。

 風のうわさで、Nさんに近いポジションの人は、役者の道を諦めて、掃除屋になったと聞いた。

 月日は流れ、僕も就職先が決まり、掃除屋から足を洗うときがやってきた。

 そのときだった。Nさんは「いつでも戻って来い」と声を掛けてくれた。

 実社会で働き始めるのは、とても不安だった。それは全く未知の世界だった。だからこそ、「いざとなったら、帰る場所がある」と思えることは、大きな安心材料になった。

 あれから、4年が経った。その間、何度となく、Nさんの「いつでも戻って来い」という言葉を思い出すことになった。

 Nさん、あなたは覚えていないかもしれない。ただの社交辞令だったかもしれない。だけど僕は、あなたから大切なことを教わりました。

 山田宏哉記

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2012.3.20 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ