ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3126)

 "才能の優劣"を考える

  質を問わなければ、誰にでも才能はある。問題となるのは、才能の有無ではなく、優劣だ。

 才能の優劣は「訓練の時間と量に対して、パフォーマンスを高められる度合い」で決まると思う。同じ量の努力をしても、素養のある人は上達が速く、素養のない人は上達が遅い。

 大学時代、僕は武術に入れ込んでいた。厳しい師匠に弟子入りし、毎日、身体的なトレーニングを自分に課し、身体能力を高めるためにヨガの教室にも通った。

 訓練を続けることで、確かに僕の身体能力は上がった。以前はできなかったことが、できるようになった。それは単純に嬉しいことだった。

 但し、僕の運動の才能は、相対的には劣ったものだった。同じだけの訓練をしたつもりでも、次第に僕は後輩に追い抜かれるようになった。

 僕は学生時代、生活を犠牲にして武術の訓練を積んだつもりだった。しかし結果的に、次々に後輩に実力で追い抜かれ、試合ではボコボコにされる始末だった。

 以前はできなかったことが、できるようになる。それは確かに、とても価値があることだ。良心的な教育者なら「他人との競争ではなく、自分との戦いに勝つことが重要」と言うだろう。

 「但し」と、僕は思う。

 世の中では、「他人との競争に勝つこと」が決定的に重要だ。スポーツや芸術の世界で飯が食えるのは、ほんの一握りだ。卑近な例では、優良企業の正社員のポストも限られている。限られたリソースを手にするために、僕たちは他人との競争に勝たなければならない。

 一方、僕は学生の頃から「言語表現能力が高い」と周囲から評価されていた。「厳しい訓練を積んだ」という自覚がある武術とは異なり、こちらは意識的な努力を殆どしていない。

 今では言語表現能力をコアスキルにして、飯を食っている。結果的に言えるのは、僕にとって「武術の才能は質が悪かったが、言語表現の才能は質が良かった」ということだ。

 才能のない人が努力して、才能があることを鼻にかけた人に勝つ。僕たちはそんな筋書きが好きだが、それは「心優しい不良と冷酷な学校秀才」みたいな話で、あまり現実的ではない。

 突端部分では、誰もが自分の限界まで努力して、最後は才能の優劣で勝負が決まる。実際は、そういうものだと思う。

 学校の勉強に関して言うと、勉強の素養がある生徒は内心「誰でも少し勉強すれば、クラスで1番くらいの成績は簡単に取れる」と思っている。競争が相対的である以上、そんなはずはないのだが。

 「勉強しても、思うように成績が伸びない」という人は、学校の勉強を諦めた方がいいかもしれない。挨拶や気配り、立ち居振る舞いや接客がきちんとできれば、仕事はいくらでもある。

 おそらくヤンキー系の若者にとっての合理的な生き方は、異性と遊び惚けることでコミュニケーション能力を磨き、できちゃった婚で家庭を築き、体力勝負の仕事につくことだろう。

 実際、彼らはそうしているように見える。学校での勉強は時間と労力の無駄なので、切り捨てた方が合理的だ。

 「異性にモテる」のも才能の一種で、あまり努力が通用する分野ではない。この分野で強みがあるなら、ホストやキャバクラ嬢として身を立てるのも充分にありだと思う。

 いずれにせよ、各人が「あまり努力しなくても、ナンバー1を取れる分野は何か」を吟味するのが大切だ。

 教育の世界では「できないことが、できるようになる」ことが重視されるが、実社会を生きる上では、「他人に勝てる分野に資源を集中する」という戦略の方が有効だ。少なくとも「才能のなさ」を痛感する分野からは、早々と撤退した方が良い。

 確かに大方のことは、コツコツと努力すればできるようになる。しかし、実社会でシビアに問われるのは、あくまで「訓練の時間と量に対して、パフォーマンスを高められる度合い」の方なのだ。

 山田宏哉記

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2012.4.15 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ