ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3180)

 随想:いじめられっ子のN君

 小学生の頃、クラスメイトにN君がいた。

 N君は、いじめられていた。理由はよくわからない。太っていて、動作が鈍かった。そのためか、「気持ち悪い」と言われていた。

 聞いた話では、N君は知的障害を持っていた。実際、成績は悪かった。

 本当は障害者向けの学校に行くことを勧められたようだけど、ご両親の強い希望で、普通の小学生に入学した。残念ながら、それが裏目に出たようだ。

 子どもは残酷なもので、僕たちは「Nは、障害者向けの学校に行けば良かったのにね」とバカにして笑った。

 ある時、N君と2人で遊んだことがある。僕は当時流行っていたスケートボードに乗って、N君の家に遊びに行った。そして、テレビゲームをした。

 確か、N君の母親に、とても親切な対応をしていただいた記憶がある。大人になった今なら、僕はN君の母親の気持ちがよくわかる。たぶん、N君が家に「友達」を連れてくることは、それまで殆どなかったのだ。

 僕はN君と遊ぶのが嫌ではなかったが、それは他の生徒に見られたくない光景だった。子どもにとって「いじめられっ子と遊ぶ」というのはリスクの高い行為だ。いつ自分がいじめられるようになっても、おかしくない。

 これは昔から今に至るまで、変わっていない点だと思う。

 僕は積極的にN君をいじめることはしなかった。だけど「N君のために、いじめを止めよう」とすることもなかった。

 先日、知人の女性のエピソードとして「彼女がいたクラスには、いじめがなかった」という話を聞いた。

 聞くところによると、誰かの陰口を言う人がいると、本人を連れてきて、陰口を叩いた人に対して「本人の前で言いなさい」という態度を取ったからのようだ。

 この話は、本当に感心してしまった。

 僕は今でも、いじめの報道を見るたびに、若干の後悔とともに、N君のことを思い出す。

 山田宏哉記

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2012.7.23 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ