ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3209)

 不本意な職業を受け入れる

 本日(2012年10月13日)、東京の大森界隈では、中高年の男性たちが交通整理をやっていた。

 加えて、自転車指導員(「ここは駐輪禁止です!」と言うのが仕事)や自転車撤去ビジネス(1台撤去するごとに\3,000の売上になる)に従事する高齢者たちの姿も数多くみかけた。

 彼らは「仕方なくやっている」という表情で仕事をしていた。本人たちにしてみれば、おそらく不本意なところもあるのだろう。

 そんな光景を眺めながら、ふと思うところがあった。

 職業に貴賎はない。それでも、子どもに将来の夢を聞いた時、「交通整理の仕事をしたい」とか「自転車指導員になりたい」と答える子どもは、殆どいないと思う。

 就職活動中の学生であっても、交通整理や自転車指導員を仕事にするのは、躊躇するのではないだろうか。

 ではなぜ、若者は交通整理や自転車指導員の仕事をしたがらないのだろうか。

 職務内容を考えると、交通整理や自転車指導員は、基本的に「誰でもできる」と考えられる。

 将来のために一生懸命勉強してきた若者が、交通整理の要員や自転車指導員として働くのは、プライドが傷つくことかもしれない。若者が希望するのは、もっと華やかで、クリエイティブに見える職業だろう。

 しかし、幼い頃から、"クリエイティブな職業"を目指して必死に努力しても、行き着く先は交通整理の要員かもしれないのだ。いや、むしろ統計的にはそうなる確率の方が高いだろう。

 大人になるとは「憧れの職業をあきらめ、不本意な職業を受け入れる」ことでもある。

 10代の頃、僕は会社員にはなりたくないと思っていた。僕は自分に才能があると思っていて、その才能を活かした職業につきたいと思っていた。だからこそ、普通の会社で働くのは、本心では「才能の無駄遣い」だと思っていた。

 しかし結局、「憧れの職業」には手が届かず、フリーターになるのを避け、会社員になってしまった。その意味では、今の僕の職業は、当時としては不本意な選択だった。

 では、実際に社会人として働き始めた後も、僕は「不本意な職業についてしまった」と思い続けたか。

 不思議なことに、それは違った。事前に想定していたのとは異なり、組織で働くことは、働き方次第で、得られるものがとても大きいことを実感するようになった。

 社会人になってからも、僕は必ずしも自分が希望したようには歩いてこれなかった。

 ある時、諸般の事情で「身体を使う仕事」をすることになった。当初は「これまで必死に勉強してきたのに、これかよ」と思って、泣きたくなった。

 やり始める前は不本意に感じたが、実際にやってみると、意外と面白く、収穫が多かった。決して無駄にはなっていない。

 実のところ、仕事は実際にやってみないと、本当に大事な部分は何もわからない。ある職業を不本意と感じるか、天職と感じるかは、事前にはわからない。だから、若い頃から、キャリアの方向性を狭く限定するのは、あまり得策ではないと思う。

 結果的に、僕はある程度、自分の才能(と10代の頃に思っていたもの)を活かした仕事ができるようになった。それはとても幸運で感謝しているが、あくまで結果論であり、あまり本質的なことではない。僕自身が強く希望したことでもなかった。

 確かに、世間体や年収は、職業によって大きく異なる。しかし、「仕事そのものへの納得度」は、実は職業によってあまり差がないのではないか、と僕は思う。

 子供の頃、憧れた職業に就ける人は殆どいない。幸運な人は、幼い頃に抱いた将来像を押し通し、周囲はその「あきらめない強い信念」を賞賛する。

 でも、本当に尊敬に値するのは、憧れの職業をあきらめ、不本意な職業に就き、それでも懸命に働く人々ではないだろうか。それでも、自棄を起こさず、与えられた責任と役割を果たす人々ではないだろうか。

 社会に出る前の若者に伝えるべきメッセージは、おそらく「憧れの職業に就く夢を諦めるな」ではない。

 本当に伝えるべきは「殆どの人は、憧れの職業に手が届かず、不本意な職業に就く。それでも、その不本意な職業は、実際にやってみると、さほど悪くないものだ」ということだと思う。

 山田宏哉記

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2012.10.13 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ