ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3217)

 なぜ、経歴を詐称するのか

 クローズアップ現代「追跡"なりすまし"社会」(2012年11月1日放送)を視聴した。

 職業偽装や経歴詐称が増えている。偽の給与明細などを作ったりするアリバイ会社も存在している、という。非常に考えさせられる内容だった。

 いまや各種証明書の画像はウェブ上に溢れていて、画像ファイルに細工を施せば、簡単に「偽造」ができてしまうようだ。また、偽の証明書を発行するアリバイ会社は、現在の法律では違法ではないようだ。

 実を言うと、僕は経歴詐称を殊更、問題視しようとは思っていない。他人を評価する際のひとつの材料にはなるような気はするが、「経歴で自分を大きく見せよう」とか「経歴で他人を値踏みしてやろう」みたいな感覚は、希薄な方だと思う。

 持っていない国家資格を「持っている」と言ったり、派遣社員として働いていたのに「正社員だった」と言ったり、水商売で働いているのにIT企業の名刺を持っていたり。

 褒められたことではないだろうが、僕はこういう人たちを叩くことに、どこか違和感を感じる。

 経歴を詐称する人が多いのは、それだけ経歴で他人を値踏みする人が多いことの裏返しなのだろう。

 確かに、ブランド大学やブランド企業の出身者がチヤホヤされる風潮があることは僕も認める。あるいは、皮膚感覚としては、学歴なり職歴なりに劣等感を持っている人がいることはわかる。

 僕個人は、出身大学や勤務先の企業を褒められても、あまり嬉しくはない。貶されたら、多少はムッとするかもしれないが、さほど気にならないと思う。

 経歴を詐称するのは、一言で言えば「自分を大きく見せるため」だろう。

 では、自分を大きく見せると、どのようなメリットが期待できるのか。余計な「足切り」をされない点は、確かに良いと思う。

 それ以外の部分では、自分を大きく見せることにメリットはあまりない。むしろ、無駄に周囲からの期待値を上げ、メッキが剥がれた時に、評判を落とすだけだろう。

 経歴を詐称するのは、損得を考えた合理的判断ではなく、自尊心と劣等感を糊塗するためのものだろう。

 正直言うと、学歴や職歴を偽る人がいようと、僕にとってはどうでもいい話だ。別に「羨ましい」とか「真似をしたい」とも思わない。

 微妙な例で恐縮だが、仮に「東大出身マッキンゼー勤務」のAさんと「日大出身ワタミ勤務」のBさんがいたとして、僕たちは接する態度を変えるだろうか。

 普通の人は、たぶん接する態度を変えるのだろう。A君に対しては意味なく卑屈になったり、B君に対しては意味なく尊大になったりする。だからこそ、経歴詐称されると非常に怒るのではないだろうか。

 確かに、統計的に見れば「東大出身マッキンゼー勤務」のAさんの方が、「日大出身ワタミ勤務」のBさんよりも、地頭が良く、仕事ができる確率は高いかもしれない。

 しかし、A君がB君よりも優秀という保証はどこにもない。むしろ、実社会で働く実感としては「経歴が良くても、ダメな人はダメ」だ(但し、人事的にはA君の方が「採用が失敗だった時の言い訳がしやすい」という面はある)。

 経歴詐称をする人と経歴詐称を生み出す社会。その双方が「現代という時代の病」のような気がしてならない。

 山田宏哉記

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2012.11.3 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ