ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3219)

 人生を語る不誠実さ 

 人生を語るのが好きな人がいる。

 「起きていることはすべて正しい」と言ってみたり、「ポジティブ・シンキングで道は開ける」と言ってみたり、「思考は現実化する」と言ってみたり。

 この手の言説はなぜ、胡散臭いのか。僕はそのことがずっと気になっていた。

 そもそも、僕たちは他人の人生に対して責任を持つことはできない。結果に責任を持てない以上、他人の人生に対して、軽率に口を出すのは慎むべきではないだろうか。

 例えば、「信じれば夢は叶う」「努力は報われる」「諦めないことの大切さ」といった類のことは、あまり軽々しく言うことではない。

 要は「この言葉に嘘があった時、責任を取れるのか」ということだ。世の中には、夢を諦められず、人生を棒に振った若者がたくさんいる。

 ミュージシャンを目指している30歳のフリーターは、急遽、メジャーデビューできるかもしれない。一方、諦めずに努力しても、フリーターのままで終わるかもしれない。

 今後の進路は、結果に責任を負う本人が決めることであって、「人生の先輩」が説教することではない。

 「いい学校に行った方がいいよ」「大きな会社に就職した方がいいよ」「結婚した方がいいよ」「子ども作った方がいいよ」「住宅ローンでマイホーム買った方がいいよ」「貯金した方がいいよ」。

 僕はいつも、この手の発言をする人の無神経さに驚いてしまう。繰り返すが、その発言に責任を取れるのか。

 (穿った見方をすると、やたらと他人に「マイホームを買った方がいい」とか「結婚した方がいい」とか言う人は、内心、「選択を誤った」と感じている人のような気がする。自分の失敗を覆い隠すために、「私はこれで幸せです!」と必死にアピールしているのだろう)。

 世の中には色々な人がいる。性格や行動特性、置かれた環境も様々だ。何がプラスに作用するかは、人によって異なる。

 個人的な信念はもちろん自由だ。「ファイト一発!」でもいい。但し、「ファイト一発!」のような自分の個人的な信念が、世の中のすべての人に適用できると考えるのはおかしい。

 更に言えば、「努力は報われる」「信じれば夢は叶う」「ポジティブ・シンキングで人生はうまくいく」…。これらは「ファイト一発!」と同じで、本質的には自分に言い聞かせる掛け声なのだ(だからこそ、他人から見ると気持ち悪く感じる)。

 その掛け声によって勝率が高まるなら利用すればいい。但し、他人に説教する際に持ち出すことではない。

 「ファイト一発!」に類する自分への掛け声で高いパフォーマンスが出るなら、それで何の問題もない。但し、この種の掛け声はあくまで個人的な信念の表明であり、他人にも適用できる類のものではない。

 つまり、他人に対して人生を語るのは、そもそもが不誠実な行為なのだ。だからこそ、そこに「胡散臭さ」が生まれる。

 いわゆる自己啓発をめぐる諸問題の核心は、これに尽きると思う。

 山田宏哉記

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2012.11.11 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ