ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3228)

 「飽きないこと」を仕事にする

 よく「好きなことを仕事にしよう」という趣旨のことが言われる。

 僕たちが好きなことは、大抵、趣味としてよく挙げられるものだ。芸術やスポーツなどが代表例だろう。では僕たちは、芸術やスポーツを仕事にするべきなのだろうか。

 当然だが、芸術やスポーツが好きでも、希望通りに就職できる人はほんの一握りだ。しかも、芸術やスポーツは、世の中の基幹産業とは言いがたい。

 仮に、好きなことを仕事にできた人が「勝ち組」で、そうではない人は「負け組」なら、世の中の大半の人は「負け組」になる。では、世の中の大半の人は、「負け組」として、希望も持てずに働いているのか。決して、そうではない。

 「好きなことを仕事にする」というのは、個人のキャリア戦略としても、社会構造としても破綻している。

 実社会で働き始め、ある程度、仕事を覚えて気付いたことだが、仕事をする上での大きな落とし穴は、「仕事に飽きてしまうこと」だ。

 悪い意味で仕事に慣れてしまい、「同じことの繰り返し」に陥ってしまう。そして、内向きな人事の話にしか関心がなくなってしまう。

 「会社で仕事をする」のは「美術館で絵を鑑賞する」のとどこか似ている。同じ絵であっても、人によって見え方は全く違う。そして多くの人は、すぐに絵に飽きてしまう。

 おそらく、仕事は「絵の鑑賞」に似ていて、表面的な部分を眺めているだけでは、すぐに飽きてしまう。一枚の絵を味わうには、一定の前提知識やオーソドックスな解釈は踏まえた上で、自分なりの解釈を大切にしたい。それが、絵に対する「飽き」を防ぐことになる。

 仕事に飽きてしまった人は、給料と出世のため、「義務感」で仕事をする。しかし、嫌々やっているので、仕事のクオリティは低い。しかも、「同じことの繰り返し」しかしていないので、だんだん時代からも取り残されていく。

 もちろん、企業の側としても、従業員が「仕事に飽きない工夫」はする。定期的な組織再編や人事異動は、その際たるものだ。しかし、チームのメンバーや担当業務が少々変わったくらいでは、「仕事に飽きてしまう」という問題は解決しない。

 私見では、職業選択においては、「好き嫌い」よりも、「飽きる、飽きない」を基準にした方が、現実的かつ有用だと思っている。

 更に言うと、僕は「才能がある」とは「飽きないこと」だと思っている。よくよく見ていると、普通の人は、すぐに物事に飽きてしまう。仕事にも飽きて、創意工夫する気持ちが失われたりする。

 「好きなこと」を仕事にするのはハードルと競争率が高いが、「飽きないこと」を仕事にするのであれば、ハードルも競争率も低い。

 もちろん、「好きなこと」を仕事にできるのに越したことはない。ただ、それが無理なら「飽きないこと」を仕事にするのが良いと思う。

 僕も結局、好きなことを本業にすることはできなかった。

 でも、「飽きないこと」を本業にしている。そのため、1日として同じ日はないし、前進の手応えがある。好きなことを仕事にできなくても、世の中、それほど捨てたものでもなかった。

 山田宏哉記

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2012.12.2 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ