ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3332)

 「雇用のミスマッチ」を考える     

 日本経済新聞(2014/2/15付)が、中国の雇用のミスマッチを報じていた。「事務職は過剰、工場は人手不足」で、高学歴化に伴い、若者は「単純労働を嫌う」という趣旨だ。

 これは中国に限った話ではないと思う。

 事務職のようなデスクワークが「人余り」で、逆に単純労働者が「人不足」という構図は、僕の実感にも沿う。

 そして、子どもの頃から一生懸命勉強するのは、何も日雇い労働者や掃除屋になるためではないだろう。その気持ちは、僕にもわかる。

 雇用問題が難しいのは、誰もが希望する職につけるわけではないし、誰かが「損な役割」を引き受けなければならないことだ。

 例えば、100人の就職希望者がいて、100人分の求人があるとする。就職希望者側は「80人が事務職希望、20人が単純労働希望」、求人側は「80人の単純労働者と20人の事務職を採用予定」だとする。

 このミスマッチを解消するには、どうすれば良いか。

 結論から言えば、このミスマッチは「時間」が解決する。というのは、就職希望者は働かなければ収入を得られず、生活できないからだ。80人の事務職希望者は時間と共に、1人また1人と、妥協して単純労働者になっていく。

 これで、雇用のミスマッチは解消する。

 結論そのものは、単純だ。但し、自分の人生の問題として考えた時には、そう簡単に割り切れるものでもないだろう。

 幼い頃から、将来、「立派な職業」につくために一生懸命勉強しても、需要と供給の関係で、「不本意な選択」をしなければならないことがある。

 僕にも、日雇い労働や掃除をしなければ生活できなかった時期がある。

 世の中が成り立つためには、誰かが底辺で這いつくばって、作業をしなければならない。これは仕方ないことだ。

 当然だが、「底辺で這いつくばって、作業をする人」は、損な役割だ。

 誰しも、自分が底辺の仕事につくことがないよう、一生懸命努力する。その方向性が悪いとは言わない。ただ、それでもやはり、世の中は「底辺の作業者」を必要とするのだ。
だからこそ、世の中は不本意な職業で溢れている。子供の頃、なりたいと思った職業につけた人は、ほとんどいない。

 「こんな仕事をするために、一生懸命勉強してきたわけじゃない」という嘆き節は、誰にとっても無縁の話ではない。

 仮に、事務職が人余りで、単純労働者が人不足なら、誰かが事務職を諦めて、単純労働者にならなければならない。

 但し、その時、自分がその「誰か」になったとしても、それは絶望することではないと思う。

僕も随分、「不本意な仕事」を経験した。それでも、今ではそのひとつひとつが貴重な経験となり、僕の強みとなっている。どんな仕事であっても、一生懸命やれば、得るものは必ずある。

 世の中は不本意な職業で溢れているが、それほど捨てたものでもないのだ。

 山田宏哉記

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