ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3515)

良き補欠選手であれ。"人間サンドバック"に徹する覚悟

 競技スポーツの世界では、チームのメンバーは、限られた数のレギュラー選手と補欠選手に分かれることになる。

 レギュラー選手には、試合に出場して活躍して、栄光や賞賛を手にする機会が与えられるが、多くの場合、補欠選手には、ごく限られた出場機会しか与えられない。全く試合に出場する機会がなくても、不思議ではない。

 誰しも、自分が試合に出場して、活躍したいと思っている。その意味で、厳しい見方をすれば、補欠選手は、"負け犬"の"落伍者"であり、反面教師でしかないのかもしれない。

 レギュラー選抜の基準は公平であるべきだが、全員に試合への出場機会を与えることは、現実にはできない。多くの人は、自分が補欠選手であることを、甘んじて受け入れなければならない。

 しかし、だからこそ、自戒の念を込めて、思うことがある。「良き補欠選手であれ」と。

 補欠選手に与えられた選択肢は、大きく分けて3つある。

1.レギュラーに登用されるよう、必死で頑張る
2. 補欠選手の役割である「先発選手の練習台」に徹してチームに貢献する
3.自分のエゴやプライドを守るために移籍(転職)をする

 まず、補欠選手がレギュラー登用を目指すのは、現実には「茨の道」である。というのは、「試合への出場経験」こそが、選手を劇的に成長させるからである。だから、補欠選手が、練習で球拾いを一生懸命やっても、実際問題として、「試合への出場経験」には敵わない。

 「豊かな人は益々豊かになり、貧しい人は益々貧しくなる」という格差拡大の現象は、マタイ効果と呼ばれる。ビジネスの世界でも、マタイ効果は顕著だ。成果を出した人には、益々条件の良い仕事が集まり、仕事がなくて暇な人は、いつまでも条件の良い仕事にありつけない。

 今現在、補欠である人にとって、現実的な選択肢は、「良き補欠選手であることに徹する」ということだと思う。いわば「人間サンドバッグ」として、レギュラー選手のための「練習台」に徹する。舞台裏で身を挺して、チームの勝利に貢献する。これが、「良き補欠選手」だ。

 表向きは成果主義が唱えられているが、まっとうな日本企業が、「人間サンドバッグ」に徹する「良き補欠選手」を見捨てることは、滅多にない。見捨てられるのはあくまで、補欠選手の実力でありながら、「俺様は凄い」と勘違いした人の方である。

 人の言動を観察すると、転職を繰り返すタイプの人は、「自分が補欠であることに耐えられない」というケースが多いように感じる。補欠選手として、先発選手の練習台に徹し、チームの勝利に貢献するよりも、自分自身が試合に出て、脚光を浴びたいと考える。

 一般論だが、先発の主力選手は、自ら移籍(転職)を希望することが少ない。「キャリアアップ」のために移籍(転職)を繰り返すのは、余計なプライドが高い補欠選手の方である。しかも、組織の常として、他の組織で補欠だった選手を、積極的に試合に出場させることはない。

 ちなみに、これから組織に就職する若者に、老婆心ながら一言言っておくと、仮に自分が補欠選手(人間サンドバッグ)であったとしても、納得できる組織に就職することが大切だ。実際、確率的には、あなたはたぶん、レギュラーには選ばれず、補欠選手になると思う。

 「俺様は優秀なんだ。俺様はレギュラーに選ばれるに決まっている」と勘違いしている若者には、何も言うことはない。そういう人は、レギュラーどころか、職場の嫌われ者になって追い出されるわけだが、身をもって、このリアリズムを知るしかない。

実際のところ、"出世競争"に敗れて、自分が"負け犬"の"落伍者"になった時は、仲間のために、余計なプライドを捨てて、"人間サンドバッグ"になる覚悟は、必要だと思う。レギュラー陣の練習台に徹すること。現実的には、それが補欠選手の生きる道ではある。

 だからこそ、普段から、仲間を好きになる努力が大切なのだ。

 山田宏哉記



2016.11.5 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ