ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3518)

 妊娠・出産の理不尽と不妊治療のエゴイズム

 「最近、不妊治療を受けている女性が多い」との趣旨の情報を得て、妻と議論してみて、色々と思うところがあった。

 この話の大前提として、妊娠や出産は、かなりの程度、偶然に左右される。

 また、努力したからと言って、結果につながるわけでもない。だから、ボス猿や権力者は、一夫多妻制で、そうまでして、「俺様の遺伝子」を残すことにこだわる。一夫一妻制の社会で、全ての家庭が子宝に恵まれると考えるのは、本質的に無理がある。

 妊娠と出産は、「人生の理不尽さ」が非常に強く現れる局面だ。

 ある家庭では、特にお金をかけず、自然と子どもが産まれるのに対して、別の家庭では、不妊治療に何百万円も投じたりして、それでも子どもに恵まれなかったりする。しかもそれは、必ずしも本人の責任ではない。非常に理不尽ではある。

 それを踏まえた上で、ここで人生観の核心に触れる。
 自分が子どもに恵まれたことを棚に上げて、それでも敢えて、言わせてもらう。

 なぜ、養子縁組という選択肢があるなかで、不妊治療にこだわるのか。

 「自分の遺伝子を残したいから」
 かなり露骨で嫌な表現だが、これ以外の理由は、見当たらない。

 補足すれば、「養子縁組では嫌じゃ。自分の遺伝子を残せなければ嫌じゃ」という感情は、理解はできる。僕も、自分の遺伝子が次世代につながって、安堵できたのは事実だ。

 確かに、それは認める。それは認めるが、それだけでは、その辺のサルやライオンの行動と大差がない。

 果たして、僕たちはどこまで「養子縁組では嫌じゃ。自分の遺伝子を残せなければ嫌じゃ」という"ワガママ"に配慮して、認めるべきなのか。率直に言えば、僕は、不妊治療に固執する人より、養子縁組の決断をする人の方が、人として、ずっと立派だと思っている。

 不妊治療をしている女性が、「不妊治療なんてやめちゃえば」という友人の発言に傷付いた、という事例もあった。

 しかし、養子縁組の選択肢もある中で、これは「心ない発言」ではないと思う。傷付いたのは、「自分の遺伝子を残せなければ嫌じゃ!」という自分のエゴが露わになったからではないか。

 とはいえ、自分のエゴと向き合う時は、いいカッコをしようとせずに、正直になった方がいいと思う。言葉にすると相当痛いけど、「自分の遺伝子を残せないのは嫌じゃ」と感じるのであれば、その感情は大切にした方が良いと思うのだ。

 妻とも話をしたのだが、日本国憲法がいう「健康で文化的な最低限度の生活」の中に「自分の子どもを持つこと」や「次世代に遺伝子を残すこと」は、含まれていない。

 自分の子どもを持ったり、次世代に自分の遺伝子を残すのは、基本的にエゴイスティックな行為なのであり、それができるのは、一定以上の恵まれた人なのであり、手が届かなければ、諦めるしかない。

 残念ながら、僕たちの社会は、現時点では、「自分の子どもを持ちたい」という願望のすべてに、報いることができない。不妊治療に可能性をつなぐ人もいれば、養子縁組を選ぶ人もいる。そもそも、結婚にも辿り着けない人もいる。

 だから、最後は、各人が自分自身のエゴと真摯に向き合い、制約の多い現実の中で、何とか折り合いをつけるしかないのだ。

 山田宏哉記



2017.5.1 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ