ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (3523)

 なぜ人は、他人と比較せずにいられないのか?

 以前、こんな会話を耳にしたことがある。

「自分の年齢だと、他の人は出世しているのに…」
「そんなの関係ない。他人は他人、自分は自分」

 この回答、内容的には全くの正論だ。
 ただ、何か物足りなさを感じるのではないだろうか。

 僕は「動物の本能」と「人間の理性」がせめぎ合うのが、リアルな人間の姿だと考えている。

 ロバート・H・フランク曰く「ダーウィンが明確に認識していたように、生物は相対的評価によりランクが決まる。(略)重要なのは、同じ種のなかで必要なものを獲得する競争に勝つことなのである。」(『ダーウィン・エコノミー』,P48)。

 例えば、ライバルが出世し、結婚して子どもを持ち、家庭を築いていく姿を見るとき、「動物の本能」は、痛み出します。思い当たる節がある人は、多いでしょう。

 他人に遅れを取ったような気がして、心が痛んだ時、「人間の理性」を思い出し、他人と比較するバカバカしさを認識すれば、人は納得するだろうか。おそらく、そうではない。

 つまり、「他人と優劣を比較するなんて、バカバカしい」と「人間の理性」で充分にわかっていながらも、「それでも俺は、あいつに勝ちたい。あいつよりも、格上であることを証明したい」という「動物の本能」に突き動かされるのが、リアルな人間の姿なのだ。

 「復讐」をめぐっても、「人間の理性」と「動物の本能」がせめぎ合う局面です。

 「復讐からは何も生まれない」と「人間の理性」は言う。全く正しい! しかし、それでも、「動物の本能」は、復讐(報復)を為そうとする。なぜ? 「動物の本能」にとっては、自分を踏み付けたあいつの風下に立ち、格下の立場に甘んじ続けることが、我慢ならないのだ!

 他人と比較し、相対的な優劣を競うのは、「人間の理性」で考えるとバカバカしいことだが、「動物の本能」であるために、完全に消し去るのは、難しい。

 相対的な序列をめぐって、「人間の理性」と「動物の本能」がせめぎ合った結果、落とし所となるのが「切磋琢磨」といった辺りでしょう。必要なのは、このような点を自覚した上で、自分の言動を調整することだと思います。

 山田宏哉記



2018.8.18 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ