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 『ミリオンダラー・ベイビー』

 先日、映画『ミリオンダラー・ベイビー』を飯田橋ギンレイホールにて観てきました。クリント・イーストウッドの映画で、初めて目頭が熱くなってしまいました。

 実の娘に縁を切られたボクシングの名トレーナー、イーストウッドと家族に恵まれず、31歳にしてボクサー志望のヒラリー・スワンクが、ボクシングを通して絆(きずな)を育てていく話です。

 とても心に残る台詞がありました。

 ヒラリーが女性ボクサーとして、頭角を現しつつあった頃のことです。 イーストウッドがヒラリーの部屋を訪れ、「対戦相手の映像が手に入ったぞ」と告げます。

 ヒラリーは喜んで、その場でシャドウ・ボクシングをしながら言います。

 「うちにはテレビがないのよ。」
 この言葉には、ストイックな生活を要求するイーストウッドも唖然(あぜん)とします。

 台詞として語られてはいませんが、ヒラリーにとっては、経済的な理由と同時に、テレビ(なんか)を観るために、時間を費やすのが耐えられない、という意識があったはずです。

 ヒラリーは、自らの誇りを賭けた闘いのために、ロード・ワーク(ランニング)やロープ・スキッピング(縄跳び。僕もやってます。)を精力的にこなし、ジムでは、ただ一人の女性として、誰よりも遅くまで残って練習していました。

(こういう細かくて具体的なトレーニング風景を映した1コマ、1コマは、ストーリー以上にみごたえがあります。名作は、試合本番より、むしろ練習風景を大切にしています。)

 もし、人を「舞台の側」と「観客席の側」の人間に分けるなら、ヒラリーは、明らかに舞台の側にいます。「舞台の側」に立つと決めたら、テレビ鑑賞のような受動的な行為に時間を割いていたら、ライバルに負けてしまいます。

山田宏哉記

P.S. というわけで、うちにも、テレビがないんです。

2005.10.17

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