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 少年少女のための「自由」の話

 僕が通っていた高校は、「自由な校風」で知られていました。 入試の面接の時には、大抵、誰もが「自由」を志望動機に挙げました。

 制服はないし、強制的に勉強させるような雰囲気でもありませんでした。 (ただし、数学の宿題は嫌になるほどありました。)

 進学校ですが、生徒は受験よりも部活に熱心に打ち込んでいました。

 それでもなお、「自由な校風だった」と言うには、抵抗があります。  こういうのは、むしろ放任という言葉の方がしっくりきます。

 僕は今、自分の中で、自由とは、「選択肢がある状態」とシンプルに考えています。 日々の生活の中で、瞬間的に立ち現れては、消えていくものなのです。

 ここでひとつ大切なことがあります。  将来、多くの選択肢を確保するためには、(放任の環境下でも)やはり勉強しなくてはいけない、ということです。

 特に経済的な選択肢、精神的な選択肢、身体的な選択肢を手にするためには、人一倍の勉強が必要です。(もちろん、勉強とは学校の五教科のことだけではなくて、もっと広く「学ぶこと」です。)

 どこかに、「いつまでも続く自由な環境」があるわけではありません。 自分の意思で、道を選ぶためには、何より学ぶことが必要だったのです。

山田宏哉記

P.S. もっと言えば、今日から、「自由」という言葉は、「正義」「人権」「平等」「平和」といった言葉と同様に、禁句にすることをオススメします。大文字の概念語を多用する人は、所詮、当事者ではなく評論家なんだよね。

2005.11.10

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