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 昔、教養はカッコいいものだった

 高田里惠子(著)『グロテスクな教養』(ちくま新書)を読みました。

   ほんの何十年か前までは、「教養がある」ということは、カッコいいことでした。

 特に旧制中学や旧制高校では、「お前、この本を読んだか。」と問われて、「読んでいない」と答えることは、「負け」であり、「恥ずかしいこと」でした。

 なぜ、教養を持つことがカッコよかったかと言えば、彼らには「自分は単なる受験エリート・学校秀才ではない。」という強烈な自負があったからです。そんな風景が記してありました。

 つまり、受験勉強だけをするのは、とてもカッコ悪いことだったのです。

 もちろん、今では、こういう価値観は、嫌味にあたるでしょう。  

 それでも、このエッセイを読んでいる人には、サービス精神から、強調しておきたいことがあります。

 もっと教養(身体的な習い事などを含む)を身につけないと損です。  特に座学は、肉体的な鍛錬に比べたら、嬉しくて涙が出るくらい楽ちんです。

 「お金が欲しい」でも「異性にモテたい」でも、動機は何でもいいけど、教養を身につけることは、遠回りなように見えて、実は、一番近道なのです。

 福澤諭吉が『学問のススメ』で一番言いたかったのも、「金持ちになりたければ、勉強しなさい」ということです。

 また、『源氏物語』を読みこんでいる人とそうでない人では、恋愛観や人間観の深みに圧倒的な差があります。

 照れくささから、「勉強なんて役に立たない」と言うのは、簡単です。  だけど、その間にも、ライバルは隠れて勉強して力をつけているのです。

 クレオパトラも「絶世の美女」とか言われますが、詳しく調べると、ユリウス・カエサルを虜(とりこ)にしたのは、その豊かな教養だったようです。  

山田宏哉記

P.S. 実は今でも、教養がある人は、ひけらかしたりさえしなければ、カッコいいのです。

2005.12.25

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